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眼鏡橋(諫早公園)

玖島城から次の目的地である諫早城へ。
現在は諫早公園になっているということなので、そこを目指して現地到着。
すると城山の麓に立派な石橋を発見。



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眼鏡橋。

眼鏡橋(めがねばし)とは長崎県諫早市高城町の諫早公園内の池に架かる石造二連アーチ橋である。石橋としては日本で初めて国の重要文化財に指定された。
(wiki参照)


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攻城の前に、まずはこの橋から見学することにします。
傘は玖島城で大破したため、パーカー付長袖を羽織りさらに帽子をかぶることで凌ぎます。
そういえばこの旅で初めて長袖を着たな。



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この橋は数え歌にされるほど親しまれています。

いさはやのめがねばし いきもどりすれば おもしろかなり

橋の長さは49.25m(長崎の眼鏡橋の約2倍)、高さ7m、幅5.5m、架橋に用いられた石の数は約2800個で、大型の橋であったため切り石の組み方に苦心が払われた。 総工費は約3500貫文。

1839年(天保10年)、現在地から約500メートル離れた本明川に架けられた。 世話人たちは「水害でも流されない頑丈な橋」を目指し、長崎の眼鏡橋を参考に架けたといわれている。芥川賞を受賞した作家野呂邦暢は『諫早菖蒲日記』で洪水に弱い諫早のことを書いているが、眼鏡橋は世話人たちの願い通りの出来で、以後一度も流されることはなかった。

(wiki参照)



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諫早公園は日本の歴史公園百選に選出されています。

1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人以上の犠牲者が出た。眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大したとの指摘がなされた。水害後の復興策では川幅拡張工事に合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街のシンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定された。このため、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが参考資料として作った1/5モデルが埼玉県所沢市のユネスコ村に移された。この「ミニ眼鏡橋」は目の前の高城公園に移設された。
(wiki参照)

さきほどの説明板にもダイナマイトで壊す計画があったとありましたが、市民の願いで残されることとなりました。
悲惨な災害があったといっても、こういうものは残しておけばたいてい間違いはないんですよ。異論はあるでしょうが、東日本大震災の津波による震災遺構なども、可能な限り記憶遺産として保存すべきです。観光船「はまゆり」でしたっけ、あの建物の上に乗っかってた遊覧船。あれなんか保存の声もあったのにもかかわらず解体撤去しちゃって、それなのに現在復元のために寄付を集めてるとか。それってどうなのさ。



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重文の石碑もかっこいい眼鏡橋。
橋の両側の階段は、上に行くほど段差が低くなっています。
これは段差が同じである場合よりも疲れにくくするためと考えられています。



P9240165.jpg P9240168.jpg
結構雨が降っていますね。

橋を渡る様子を動画で撮ってみました。





それまでが台風の土砂降りだったので、これくらいなら大丈夫と思ってしまうほど感覚がマヒしていたようです。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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