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江迎本陣 ~平戸藩主の宿泊所~

9月24日。九州遠征4日目。
この日は大型の台風16号が九州北部に上陸した日ですが、朝の段階では傘もいらない程度の小雨状態。
ただ風だけは強く、明らかに台風の強風圏内に入っていると感じます。
とは言え、数日来の猛暑の中での城めぐりに懲りていたので、この台風襲来は正直暑さが和らいでありがたいと思ったほど。

そんな中、4日目のスタートは当初の予定にはなかったこの陣所から。



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江迎町長坂、R204沿いにある旧家風建築物。
全くのノーマークで、現地にてたまたま発見。



P9240015.jpg
立派な門前には「松浦公本陣屋敷址」の石碑があります。



P9240016.jpg
説明板もあります。
wikiにも記載があったので、そちらを掲載。

平戸往還は、江戸時代初めの寛永年間から平戸藩により整備が進められ、1656年(明暦2年)には宿駅制度が設けられていた。
江迎本陣跡を現在も所有する山下家(潜龍酒造経営)が酒造業を始めたのは1688年(元禄元年)と記録されており、この頃から山下家が本陣として機能していたとみられるが、正確な記録はない。
江迎本陣に関する記録文書は、平戸藩第9代藩主松浦清(静山)の代の1781年(天明元年)からある。本陣跡のうち、重臣控えの間等はこの時期の改築と推定されている。清が記した「静山日記」のほか、2001年(平成13年)に山下家で発見された覚書に、清とその子の松浦熈(観中)が参勤交代や長崎防備のための往来に際し、たびたび本陣に休泊していたことが記されている。
現在の本陣建造物のうち、藩主が滞在する御成りの間を含む部分と庭は、熈の意向により1830年(天保元年)より全面的に改築されたものであり、1832年(天保3年)に熈が新装後初めて本陣に休泊した際に、自らの居室である御成りの間が庭の池に張り出して建てられていることから「枕水舎」(ちんすいしゃ)と命名している。また、この際に庭内に水琴窟が造られたものとみられるが、正確な記録はない。水琴窟は1983年(昭和58年)に存在が確認された。
明治に入り、廃藩置県で平戸藩が消滅して、本陣としての役目は終えたが、現在まで建物・庭始め本陣の形態をよく残し、藩主休泊に用いる備品類も多くそのまま残されている。
1998年(平成10年)2月18日、山下家もと蔵とともに県史跡に指定された。

(wiki参照)



P9240017.jpg P9240018.jpg
現在の平戸往還(平戸街道)。

江戸時代に整備された街道の一つ。肥前国松浦郡日の浦(現長崎県平戸市田平町)から江迎・佐々・早岐(現佐世保市)を経て彼杵郡彼杵(現長崎県東彼杵町)で長崎街道に合流するおよそ14里(約57.5km)の道のりで、途中に本陣6ヶ所、一里塚13ヶ所が置かれていた。

平戸藩関係者以外では、1813年(文化10年)に伊能忠敬が沿岸測量の途次に通過し、途中の江迎町内で木星観測を行っている。また、1850年(嘉永3年)には吉田松陰が平戸遊学時にこの往還を利用した。

(wiki参照)



P9240012.jpg
道を挟んで本陣の反対にある潜龍酒造。
こちらの経営者が本陣跡を現在も所有しているとのことです。



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所在:長崎県佐世保市江迎町長坂
評価:★☆

平戸往還にあった6箇所の本陣のうち、完全に残っている唯一の本陣跡。予約すれば内部も見学できるようです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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