fc2ブログ

記事一覧

三原城 ~文武両道・忠義の将~

九州遠征2日目。
1日目は14時現地入りで時間がなかったことに加え、超絶疲労状態(車の運転だけで4kgくらい体重減)からのスタートでしたが、本日からは本領が発揮できそうです。この糞暑い中でも20kmくらいは踏査できそうな感じでしょうか。冬場ならその倍でもいけるのですが。
とはいえ本日はそこまで歩き回るのはセーブして、ゆっくりのんびり15城くらい見て回る予定。時間があるって素晴らしい。

宿泊地の甘木から、まずは最初の目的地・久留米に向かいます。秋月にも行きたかったのですが、位置関係から次回に持ち越し。
さて、R322を走行中、西本郷の交差点で「←三原城」の表示を発見。
三原城というと小早川隆景の居城である備後三原城が有名ですが、ここにも同名の城があるのか。
ということで反射的に左折。


P9220010.jpg
城址碑発見!

別名は本郷城。三原氏によって築かれた平城で、規模は110m×150m。
三原氏の始祖は三原弾正時勝と伝えられ、「おしどり物語」の哀話が残る。云々



P9220012.jpg
立派な旧家の前に碑と説明板は設置されています。
車は道路を挟んですぐ北側にある慶運寺の駐車場に停めさせてもらいました。


天正6年に大友宗麟が日向耳川の合戦で島津氏に大敗すると、筑後の国人衆は大友氏から離反したが、三原城主三原紹忍入道重種は大友氏から離れず、天正14年高橋紹運と共に筑前岩屋城にて島津軍を迎え撃ち、その地で玉砕します。

三原紹心は文武両道の将であったといいます。伝記によると「岩屋城の戦いにおいてきらびやかな入道姿に、四尺余りの大太刀を構え奮戦するが、衆寡敵せず、最後は辞世の句を柱に書き付けると、島津軍に突撃し、島津兵もろとも谷底へ落ちたとされる。享年39。彼の死によって筑後三原氏は滅亡した」とされます。

うつ太刀のかねのひゞきは久かたの 天津空にも聞えあぐべき



=============================================
所在:福岡県三井郡大刀洗町本郷
評価:

事前情報皆無だったため、この旧家の敷地がかつての平城の城域と一致していて遺構は特に残ってないのだろうとこの時は思ったのですが、いろいろと情報を集めるとこちらの旧家の背後の林の中に堀跡などが残っているそうです。地図を見るとこの場所の南側、西光寺の西側一帯に広い空白地があるので、そのあたりが主郭部分なのでしょう。とは言えその情報を知っていたとしても、勝手に不法侵入するわけにはいきませんけれどね。
=============================================
関連記事

コメント

No title

すみません、この記事にコメント下さった現地の方、返信作業中に誤ってコメントを削除してしまいました。せっかくコメントいただいたのに申し訳ございません。
まだご覧になっていれば、再送いただければ返信いたします・・・

No title

三原紹心は1495年頃の生まれのようですので天正14年(1586年)に享年39はおかしくないでしょうか。
息子の宗休のことだったら年齢的に違和感はないと思いますが。

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

月別アーカイブ

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: