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柏原城下町散策

城館探訪以外の諸々、柏原城下町編。
八幡山城の探索と一部時間が前後しますが、まとめて掲載しておきます。



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八幡神社無料駐車場での先代プリ号。日陰部分の駐車スペースがちょうど1台分だけ空いたところに入れ違いで到着。
この後探索終了までここにある車は1台も動いていなかったことを考えると、実にいいタイミングでした。



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観光案内所があったので立ち寄ってみました。目当ては周辺マップ。
どこに何があるのかわからないということもありましたが、純粋にこの地の観光地図というものを入手しておきたかった。地図マニアの血が疼く。
・・・が、残念ながらそういった案内マップの類はナシ。職員らしき人は地元民と思われる人物と内輪話をして盛り上がっていたので、声をかけることもできず退出。

外にあった標識のほうがよっぽど役に立った。簡易地図でもついていれば完璧だったが。案内所いらんな。



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案内所のすぐ隣に、大きな欅の木があるのが目を引きます。



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これが柏原のシンボル、木の根橋!

このケヤキは幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年。その根の1本が幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成している。丹波市役所柏原支所の隣にあり、柏原地域のシンボルの一つとして住民に親しまれている。1970年(昭和45年)3月30日に兵庫県天然記念物として指定された。2004年、柏原町(当時)はこのケヤキをギネスブックに申請した[要出典]。
(wiki参照)

さすがは信頼度の低いwiki先生。要出典の内容も平気で掲載するとは。



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川面まで下りることができます。
対岸側は石積みにめり込んどりますがな。

その形成過程については明らかではないが、本樹の縁辺は万寿元年(1024)に創建された柏原八幡神社の参道にもあたり、奥村川に架けられていた土橋に沿って根が延びたものと考えるのが妥当なようである。現在の奥村川は、織田信包(のぶかね)の開いた第一次城下町時代に堀割として利用するため拡幅され深くなったもので、今、我々が目にする木の根橋をとりまく景観は、この時代に形づくられたと言っても過言ではない。
(丹波市HPより)



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道の反対側にある織田神社。

織田神社は、前期柏原藩三代目の藩主織田信勝を祭神として、彼の死後旧居館跡に創建されたが、後期柏原藩再興後に東奥大谷を経て現在地に移され、「織田権現」とも称して織田家の庇護と町衆の厚い信仰を受けるようになった。
信勝は織田信長の弟・信包の孫で、寛永七年(1630)に藩主となり、新田開発や堤防を築造するなど善政を敷いたが、慶安三年(1650)に死去し継嗣がなかったため前期柏原藩は絶家となった。

(説明板参照)



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このほか、資料館で興味を持った田ステ女の公園があったりとか、



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立派な寺(西楽寺)があったりとかしましたが、時間も限られているので終了。

織田家廟所と太鼓やぐらくらいは見ておきたかったのですが、マップを入手できなかったため位置を特定できず断念。観光案内所が悪い。



[000567]
そんなこんなで柏原を後にし、次なるポイントへ向かいます。
駆け足で見逃したところもありましたが、全体的にいい雰囲気の街でした。

何十年先になるかわからないが、いずれ再訪の時がありそうな予感がします。


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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