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淀山城 ~波々伯部氏の居城~

多忙のため記事作成が遅れていましたが、過日の兵庫・城たびの掲載を開始します。
果たしてこのシリーズで、一体何度「暑い」という言葉を使うことになるのだろうか・・・


1日目 9月24日(火)晴れ

前夜より600㎞の道のりを不眠不休で走破し、天引峠より兵庫入り。

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この地に到着した時点で目は窪み、頬はこけ落ち、体中に痛みが走っている状態。
この満身創痍状態からのスタートが遠征時における私のお決まりのパターンで、山城を登りつつ体力を回復するという、従来とは逆の発想での城攻め開始となります。
(このスタイルは以前の記事でも少し触れています)

問題は約半年のブランクと、近年の九月下旬にありがちな異常な気温の高さ。



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そのままR372を進むと、道沿いに城への案内表示を発見します。こういうものを発見するのが得意な私はすぐ気付きましたが、京都方面から進むとやや見つけにくい表示と思います。

この先が城たびHPの「城たび100選」に選ばれている淀山城
今回の城たびは、担当地区の但馬ではなく丹波地区のこの城からのスタートとなります。



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溜池の奥に見える小山が淀山城。木々が生い茂っている遠景から、初っ端からの藪漕ぎも若干覚悟します。
獣除けのネットが張られていますが、脇には見学者に向けた説明書きが自治会長名で掲示されており、開閉の管理をしっかり行えば出入りは自由とのこと。
道は細いものの轍もあり、車で行けるところは基本車で進む主義の私は、車で進みます。
・・・が、この先きちんとした駐車スペースはないので、手前の余白部分に駐車するほうが無難です。



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二つ目の防護ネット。奥には説明板も見えます。
この脇のわずかな部分が唯一の停車スペースですが、車がすれ違うギリギリの広さしかなく、方向転換は不可能なので運転に自信のない人はここまで入ってきてはいけません。おまけにこの時はこのわずかなスペースもぬかるんでいたため使用困難な状態。
とりあえずネットを越えたところで脇に寄せて停車し、ダッシュで登城することにします。



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説明板。

沿革については「波々伯部氏の居城である」としかないが、構造面についての記載は詳しい。
縄張り図が掲載されているのもありがたいところ。
(ただしなぜか竪堀が堀切と表示されている)



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登城口。手動で開閉。

ちなみにまだ早朝にもかかわらず気温は異常に高く汗ばむ陽気のため、既に半袖1枚。
山城を攻めるにはいろいろなものを除けるために長袖着用がセオリーですが、こんな暑い日に山城を攻めること自体セオリー無視なので、長袖着用など糞喰らえ。



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整備された形跡のある削平地。ここが井戸郭。
おそらく整備されていなかったら一面の竹藪だったでしょう。



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池沿いに南へ進むと、見事な竪堀があります。

この先、いよいよ登りに入るところになって、背後から車の排気音が。
振り返ると、池の向こうから軽トラが入ってきている!
これはまずい。あの車の止め方ではすれ違うことはできない。

猛ダッシュで来た道を戻る。



IMG_1667.jpg
軽トラに乗っていたのは地元のおじいさん。
全力疾走で戻ったことと、二つの防護ネットを開けるために時間がかかっていたようで、無事間にあった。
このおじいさん、丹波弁とでもいうのでしょうか、いわゆる関西弁とは違う言葉遣いだったなあ。
優しい感じの人で、「(車をどけてくれて)ありがとねぃ」と言って過ぎ去っていったが、あれ、防護ネットが開けっ放しですよ・・・

まあ地元の人のすることだからこのままでいいか。



IMG_1668.jpg IMG_1669.jpg
ふう。全力疾走で余計な体力を使ってしまった。
竪堀の先から本郭への登りが始まる。
少し登った先に、再び井戸郭。井戸跡らしきものもあります。

さらに斜面を登ると、
←本郭 腰郭を経て堀切→
という分岐。先に堀切を見ておくか、ということで右へ。

腰郭の先に、ありました。



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見事な堀です。斜面に平行に作られた堀が角度を変えそのまま斜面に落ちていきます。
っていうか、これは堀切というのか・・・
カッコで(竪堀・横堀)とあるが、まさにそちらのとおりではないのか・・・

ああ、下の縄張り図で見た用法がおかしかった堀切ってこれのことか。


再度登っていくと、また分岐点。
←本郭 腰郭を経て二の郭→
右へ進む。



IMG_1678.jpg
腰郭を経て、二郭。
城内最大の郭で、南北に細長い形状をしています。
二郭北側にはかなり大きめの堀切があり、北側と隔絶されています。
上から見たため上手く撮影できませんでしたが、まさに堀切とはこういうものを指すんですよ、というものでした。



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二郭側から見た主郭塁壁。
高さ、角度ともに充分。
浅くはなっているものの、この部分も堀切となっているようです。



IMG_1680.jpg
主郭西側、下郭。
下を覗くと帯郭状の削平地が見られます。また土塁らしきも確認できます。
こちら側から主郭へ登ろうとしたものの、未整備だったため撤退。



IMG_1683.jpg
北側から直登し、主郭着。
こちらの説明板には沿革が記載されています。麓と主郭の二つの説明板を見て、初めて城の構造と沿革がわかるという、面白い設置方法です。

波々伯部氏は源義家の末裔で、房光が篠山に来たという。その後次郎左衛門為光が足利尊氏に仕え、軍功により建武4年(1337)伯耆国稲光保の地頭職を与えられた。明徳の乱では光豊、光基等が活躍。一族の光尚は南山城、基継は垣屋城、光久は東山城を築城し、一族は繁栄して屈指の土豪に成長した。その後丹波守護の山名氏や細川氏の被官となり、八上城の波多野氏が強大化すると重臣となって光忠、光吉が活躍したが、明智光秀の攻撃により落城前に帰農して酒屋を開業した。
(説明板参照)



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主郭にある石碑と、主郭南段下の郭にある礎石。
これはここにあった神社の跡だといいます。



IMG_1687.jpg
主郭からの眺め。小山だと思っていたのに意外と高さがありました。
この写真右側、ちょうど木の葉に隠れている部分に八上城の姿があったのだが・・・



IMG_1692.jpg IMG_1693.jpg
北側から見た淀山城。写真中央の山です。
右の写真はおまけ。切り返しからの脱輪寸前のピンチ。内輪差でもう僅かの余裕もなし。
なかなか大変でした(笑)



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所在:兵庫県篠山市辻
評価:★★★

一見シンプルな造りの山城ながら、遺構は良く残されています。東側斜面には特に多くの竪堀があり、まさに中世山城のサンプル、といった感じです。この手の城は藪に覆われていることが多いのですが、よっぽどきちんと整備されたのでしょう、この時期でも探索に問題はありませんでした。そういった面でも高評価。
しかし早朝から暑かった。そして、このあと暑さはさらに増していくことに・・・
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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべていける雑食派。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
探訪城館数:2070城館(2017年10月末現在)
© 2010 城館探訪記

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