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関根の寄居 ~遺構残存~

数年前の冬。
文化財情報システム(現マッピングぐんま)を参照して行った前橋市の城館めぐりの記録から一部抜粋。

前橋市関根町には赤城神社と金剛寺があり、それらの間に「寄居」と呼ばれる地区があります。
寄居とは地侍が構えた小堡(砦)で、規模は南北80m・東西60m。
北部は二重堀構えとなって本郭を構成し、戦国期構築と考えられています。


P3190069.jpg
R17沿いにある金剛寺。
建立は江戸初期といいます。



P3190071.jpg P3190073.jpg
金剛寺東側の寄居地区。言われてみると雰囲気のある場所です。

右側の写真は土塁の名残、通路部分は堀跡のように思えます。



P3190075.jpg
砦域の東側に鎮座する赤城神社。
こちらは元亀2年(1571)の建立という。

関根町が設立した明治百年記念の碑が建っています。



P3190081.jpg
この場所から東を眺めると、九十九山砦が築かれた九十九山が望めます。



P3190078.jpg
なんとなく雰囲気は感じ取れたな、ということで撤収。

砦域の北側、ふと左手の民家敷地内を見ると。



P3190080.jpg
なんと!
フェンスの奥には明確な堀と土塁があるではありませんか。

竹林に覆われている点といい、まさに中世城館といった感じです。


この寄居は古い利根川の流路である桃木川に南を托し、南北80m×東西60m、北部は二重堀となって方50mの本郭を構成する。本郭の虎口は南一方で、外郭は東西に一つずつ虎口を持っていたらしく、東のものは横矢も構えられていたようで、戦国期の修築が考えられる。
尚ここで寄居と呼ぶ地域は桃木川南部にも広がり、中曲輪の地名もあって、より広域であったことが想像できる。
加沢記に、上杉謙信の沼田城代河田伯耆守が城代を辞して、関根の寄居に退隠したと記されている。

(「群馬県古城塁址の研究」参照)



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所在:群馬県前橋市関根町
評価:★☆

城郭大系には「川田(河田)重親が一時在城し、やがて新田に去る」という記述もあります。ネット上で情報がほとんどない平地城館のため遺構消滅パターンかと思いきや、しっかりした遺構が残っていて驚きでした。表示物はないものの、城館マニアの中でもっと有名になっていてもおかしくありません。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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