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浄法寺館 ~浄法寺地域城の中心~

藤岡市(旧鬼石町)にある浄法寺に所在した館。上州三ツ山城、武州金鑚御嶽城などを堡塁とする浄法寺地域城の中心に位置し、平時の居館があったとされています。

築城年代は観応年間(1350頃)、あるいはもう少し遡り鎌倉末期か。
築城者は浄法寺氏で、観応三年(1352)浄法寺左近大夫は白塩・高山・小林の諸将とともに足利尊氏に味方をして新田義興の軍勢を破っています。戦国期に浄法寺地域城を領した長井氏は左近大夫の子孫と推定されます。

探索したのは某年真冬。
この日は午後3時から真下城を攻略、その後桜山公園で冬桜を見学し、返す刀で藤岡の平地城館つぶしを行う。


P1130172.jpg
r13沿いにある浄法寺。
真冬の17時近くということもあり、感度を上げて撮影しているものの、画像は全体的に不鮮明に。



P1130167.jpg P1130170.jpg
境内にあるでかい石像。

写真よりも実物はでかく感じます。
未だに私の記憶の中に「あの像無駄にでかかったな~」という印象が残っています。

で、誰の像でしたっけ?



P1130169.jpg P1130173.jpg
境内探索中に見つけたもの。

こういったものより城館の表示物がある方が嬉しいのだが。



P1130174.jpg
寺の背後は竹林になっており、いかにも城館地形です。
奥に潜ってみると、背後の道路との境が土塁状の高まりになっています。
遺構のようにも感じられますが、道路のさらに西側の方が境内よりも微高地となっているので、ここに土塁があっても防御的には大して意味をなさないものになっています。寺院としての境界を示す土盛でしょうか。



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所在:群馬県藤岡市浄法寺
評価:

戦国期の領主・長井豊前守政実は武田信玄に属し、助勢を得て武州八千貫地を切り従え、後に高崎の島名城主となります。後を継いだ右衛門信実は武田氏滅亡後越後へ逃れますが、天正十八年(1590)の小田原役では北国勢に加わり、旧領浄法寺の兵をもって多比良城を攻略しています。信実はその功で旧領を与えられるも、江戸時代初期に参勤交代を怠ったとして改易されました。
ちなみに写真は掲載していませんが、浄法寺の山門脇の県道との境にも土塁らしきがあります。山門そのものも結構味のあるものなので、訪れた際にはチェックしてみましょう。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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