蕨平の砦 ~茶釜坂の伝説~
- 2013/02/15
- 00:00
旧榛名町の城館・その㉙
榛名町誌に記載されている城館の中で、最後まで位置の特定に手間取ったところ。
付図とこれまでの経験から蕨平公民館南の山が怪しいとにらんでいたものの、山に分け入る道があるかどうかも不明で、これまで攻城を後回しにしてきました。
しかしこのたび、旧榛名地区の城館コンプリートのため、ついにこの砦を攻めることを決意。
場所は上里見町字蕨平、怪しいとにらんでいた蕨平公民館南の山がまさにそれ。
r48安榛トンネル北側出口からすぐ東側の道に入り、道沿いに走ると南側に見える山です。
攻城日は今年の1月、東京に雪が積もって交通が大混乱したのと同じ週。
砦の東側を流れる小流・蕨平川。橋の名前は蕨平橋で、この橋を目安にするのもよいでしょう。
奥に見える山塊頂部に砦は築かれたというが・・・
おほー。
なかなかの(香ばしい)道ですよ。
「群馬県林業経営作業道9号線」とあります。
登っていくと・・・石垣が積まれている。
石垣の必要性が感じられない急峻な自然地形のため、これが砦の遺構なのかは何とも言えないところですが、かなりの年代物と見てとれます。
この作業道、かなり急勾配で道幅も狭い。
入口の看板にも書いてあったが、雪がなかったとしても普通車での乗り入れは危険です。
急勾配の道を登り詰め、右手の山塊の高さに近づいてきました。
ここで榛名町誌に記載されている説話を一つ。
このあたりには古来信州へ通じる街道があったようで、信濃坂の地名が残っている。そして源頼朝が三原野の巻狩りからの帰りに、蕨平の峰上で馬の鞍につけていた茶釜が坂の下まで転げ落ちたのにちなむ、茶釜坂の伝説があるという。
今歩いている道は後世に開かれたものですが、伝説にちなんで茶釜坂と名付けたい坂道です。
さて、道を登りきると右手前に鋭角に入る分かれ道があるのでそちらへ。
すると写真の比較的広い緩斜面に出ます。
榛名町誌の図ではこの砦は腰郭を持つ単郭の砦として描かれていますが、この緩斜面を主郭南側の外郭と考えることもできそうです。
で、肝心の主郭部分は・・・猛烈な藪。
全く侵入不可能な濃度で、この時期でこのありさまでは、通年侵入不可能でしょう。
榛名町誌の図では主郭南側の台地基部を断ち切る堀切が見られるのですが、この状況では確認のしようもありません。
主郭付近から眺めた草津街道(現R406)方面。
登ってきた道の途中、直線距離では一番主郭に近い場所。
足を踏み入れる隙間すらない。
どうしても本郭内に立ち入りたいのであれば、麓のこの辺の斜面が若干藪が薄めなので、ここから直登するのが一番到達できる可能性が高そう。
・・・そんなん絶対いやだわ。
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所在:群馬県高崎市上里見町
評価:★
要害性は充分。築城者ははっきりしないが、安中アルプスに築かれた他の城砦群のように山稜に築かれず、山塊先端部を占地しており、西の武田氏に備えるよりも東側の草津信州街道を抑えるのが目的だったのではないかと推測されています。
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榛名町誌に記載されている城館の中で、最後まで位置の特定に手間取ったところ。
付図とこれまでの経験から蕨平公民館南の山が怪しいとにらんでいたものの、山に分け入る道があるかどうかも不明で、これまで攻城を後回しにしてきました。
しかしこのたび、旧榛名地区の城館コンプリートのため、ついにこの砦を攻めることを決意。
場所は上里見町字蕨平、怪しいとにらんでいた蕨平公民館南の山がまさにそれ。
r48安榛トンネル北側出口からすぐ東側の道に入り、道沿いに走ると南側に見える山です。
攻城日は今年の1月、東京に雪が積もって交通が大混乱したのと同じ週。
砦の東側を流れる小流・蕨平川。橋の名前は蕨平橋で、この橋を目安にするのもよいでしょう。
奥に見える山塊頂部に砦は築かれたというが・・・
おほー。
なかなかの(香ばしい)道ですよ。
「群馬県林業経営作業道9号線」とあります。
登っていくと・・・石垣が積まれている。
石垣の必要性が感じられない急峻な自然地形のため、これが砦の遺構なのかは何とも言えないところですが、かなりの年代物と見てとれます。
この作業道、かなり急勾配で道幅も狭い。
入口の看板にも書いてあったが、雪がなかったとしても普通車での乗り入れは危険です。
急勾配の道を登り詰め、右手の山塊の高さに近づいてきました。
ここで榛名町誌に記載されている説話を一つ。
このあたりには古来信州へ通じる街道があったようで、信濃坂の地名が残っている。そして源頼朝が三原野の巻狩りからの帰りに、蕨平の峰上で馬の鞍につけていた茶釜が坂の下まで転げ落ちたのにちなむ、茶釜坂の伝説があるという。
今歩いている道は後世に開かれたものですが、伝説にちなんで茶釜坂と名付けたい坂道です。
さて、道を登りきると右手前に鋭角に入る分かれ道があるのでそちらへ。
すると写真の比較的広い緩斜面に出ます。
榛名町誌の図ではこの砦は腰郭を持つ単郭の砦として描かれていますが、この緩斜面を主郭南側の外郭と考えることもできそうです。
で、肝心の主郭部分は・・・猛烈な藪。
全く侵入不可能な濃度で、この時期でこのありさまでは、通年侵入不可能でしょう。
榛名町誌の図では主郭南側の台地基部を断ち切る堀切が見られるのですが、この状況では確認のしようもありません。
主郭付近から眺めた草津街道(現R406)方面。
登ってきた道の途中、直線距離では一番主郭に近い場所。
足を踏み入れる隙間すらない。
どうしても本郭内に立ち入りたいのであれば、麓のこの辺の斜面が若干藪が薄めなので、ここから直登するのが一番到達できる可能性が高そう。
・・・そんなん絶対いやだわ。
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所在:群馬県高崎市上里見町
評価:★
要害性は充分。築城者ははっきりしないが、安中アルプスに築かれた他の城砦群のように山稜に築かれず、山塊先端部を占地しており、西の武田氏に備えるよりも東側の草津信州街道を抑えるのが目的だったのではないかと推測されています。
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