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原城 ~斎藤道三の末流~

旧榛名町の城館・その⑭

雨堤の砦の東約200mに築かれているのが原城になります。
文化財情報システムにも記載のない超マイナー城館かと思いきや、実はこの城、史跡指定を受けているんですね。記事を作成する段になって初めて知りました。

原城跡は上室田町字原に中世末期の豪族長壁道観が賓将斎藤半兵衛竜政(斎藤道三の末流)と築いた館城とされています。濠で南北三つに区切られた平郭式の小規模な岸端城です。
(高崎市HPより)

「平郭式」というのは城郭用語ではあまり目にしません。
作成者の造語でしょうか。意味は伝わりますけど。



PA080189.jpg
雨堤の砦付近から眺めた原城方面。
あちら側の高台に中屋敷があり、台地の西の崖端に城が築かれたという。

原城雨堤の砦とで、間にある谷状の平地(原谷)を守っているようである、と榛名町誌には記載されています。
大名が守るのが領国、領主が守るのが町や領民とすると、地衆が守るのは田畑ということになるでしょうか。
とすると、この記述も頷けます。



PA080197.jpg
してこのあたりが城の中心部。

現況は例によって「そのように(遺構のように)見ればそう見える」状態。



PA080200.jpg
このあたりも城域内のはずだが・・・
やはり資料にある通り、圃場整備で地形は改変された模様。

資料によると城は三つの郭から構成される梯郭式の縄張りで、周囲には堀がめぐらされています。
ただこの縄張りは自然地形によるものが多く、できるだけ工事量を節約するためここに占地したようです。
周囲の堀も、かつて流れていた自然の小流を利用したものという。



PA080203.jpg
南側から眺めた城址遠景。



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所在:群馬県高崎市上室田町
評価:

市指定史跡に敬意を表してワンランクアップ。山崎先生は雨堤の砦と同様、この城の築城者を斎藤氏としています。『室田町誌』にも「斎渡原は、元亀年間(1570-72)斎藤半兵衛竜政の提唱により開拓された」とあります。また『榛名町の文化財』には「築城は中世末期、雨堤の豪族長壁道観が賓将斎藤半兵衛竜政(斎藤道三の末流)と築いた館城」との記述があり、現在の高崎市のHPの記述はこれに基づいているようです。
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コメント

お初お目にかかります

群馬県の城をネット検索してやってきました。

私も管理人様と同じく中世城館を探訪しておりまして、
書かれている記事が私の趣味に非常に近く、
大変楽しく読ませていただきました。

個人的に群馬県の城館跡に非常に興味があり、
断続的ではありますが足を運んでおります。
私の住んでいる埼玉県に比べ群馬県は
城館跡に対する理解があり、訪れる側としても
非常に参考になります。

もし管理人様さえ良ければですがリンクを
張らせていただいても宜しいでしょうか?
もちろん相互リンクという形でもこちらはOKです。

これからも貴ブログを拝見させていただきます。
ではまたです。

Re: お初お目にかかります

>儀一さま
はじめまして。コメントありがとうございます。
と言っても実は、私の方は儀一さまのことを以前から存じ上げておりました。2009年の年末ごろだったと思うのですが、尻高城の情報を検索して貴HPの存在を知り、それ以来たまにこっそりと覗いたりしていました(笑)
私が城館めぐりをする際に城郭大系のみならず各市町村誌の記述を調べるようになったのも、貴サイトの影響が大きいです。

リンクの件、もちろんOKです。相互リンクということで、こちらにも張らせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

確認しました。

大変遅くなりましたが、こちらもリンク完了致しました。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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