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上大島館 ~小五郎義貞が遊ぶ~

どの在庫から手を付けていこうか悩んでるうちに月日が経過。

今後の予定としては次は藤岡地区編へ入ろうかと考えています。こちらは攻城済み城館が約40、内10箇所ほどは掲載済みなので在庫は30城館ほど。
その後は旧高崎市編に手を付けるか。未掲載城館が山のようにあり、ここがまさに在庫処理の本丸。
・・・う~ん、予定を書いただけで気が重くなってきました。

さて、その前にまずは旧榛名町編を終わらせなくてはなりません。
この地域だけでもまだ10箇所以上在庫が残っています。

ということで、旧榛名町の城館・その⑯

今回掲載の上大島館は一度探索失敗をしているところです。


一度目の探索時。榛名町誌の付図を参考に、里見館から上大島館へ向かいます。
光明寺から下里見小を経て道なりに進む。

PA070071.jpg PA070073.jpg
該当地にかなり接近したと思われる場所で発見した重谷戸住民センター。
このクラスのマイナー城館になると、寺社や役所・学校といった公的施設のみならず、こういった集会施設も跡地として関係している場合が多々あるので、ランドマークとして大いに役立ちます。
敷地内には「天満天神宮古址」と刻まれた石碑が。



PA070076.jpg PA070078.jpg
住民センターから周囲を見渡すと、木々に囲まれた怪しい地形を発見。
それこそ目的地かと思い急行するも、普通の社で上大島館とは関係なし(左写真)。
ただこの社は満行宮といい、先ほどの石碑とのかかわりはあるかもしれません。
その後榛名町誌付図に記されている該当地付近でいかにもな感じの広い敷地を発見(右写真)。
たぶんここだろうと写真に収め、この日の探索は終了したわけですが・・・

後日榛名町誌本文と照らし合わせてみると、該当地は安養寺跡に隣接しており、寺の遺物も残っているとのこと。
何かしら表示物があるというのなら再訪もやむなし。



PA200095.jpg PA200096.jpg
ということで再訪。安養寺跡は現在は上大島町公民館となっています。
やはり公民館がヒントであったか・・・
公民館脇にはかつての安養寺の名残といえる遺物が。



PA200097.jpg PA200099.jpg
石板には「明治四十年建之 上大島村一同」の文字が見えます。
さらに供養塔には説明板。鎌倉時代中期の銘が残っており、県内最古の笠塔婆形式を持つ供養塔ということで榛名町指定重要文化財(現在は高崎市指定)となっています。
この笠塔婆は榛名町誌にも記述があり、「これだけ立派なものを建立できたのは限られた人たちだけだったろう」と記されています。



PA200101.jpg
そして上大島館址。
敷地の形状は榛名町誌にある図と変わっていませんが、明確な遺構と呼べるものはないようです。
ちなみにこの場所、前回このあたりだろうと思って写真を収めた場所のわずか1ブロック隣。超ニアミス。



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所在:群馬県高崎市上大島町
評価:

この安養寺で幼少期の新田義貞が遊んだという伝承が地元に残っています。新田郡尾島町(現太田市)にも安養寺の名はあり、そちらも新田義貞の館であったとされています。いずれも新田氏との関係は考えられるところです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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