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稲荷城① ~吾妻氏在城~

吾妻太郎助亮が建久年間(1190~99)に居住していたと伝わる。その子助光も居城したというが、承久三年(1221)の承久の乱に際して宇治川で討死し、同族の下河辺行家が吾妻氏を継承した。行家の子・吾妻庄司助行重もまた稲荷城に住んだと伝わる。
また吾妻四郎助光が宇治川で戦死した後、吾妻氏の実権は家臣の大野・塩谷・秋間三家に移ったが、大野憲直の時、塩谷・秋間両氏を圧倒して岩櫃に新城を築いて移ったという。

(城郭大系等参照)

上記の吾妻氏稲荷城在城説については実は確証のないところなのですが、地元では古来から伝えられている伝承であるとのことです。その後室町期に大野氏がこの城に入ったことは諸説の一致するところですが、この大野氏の出自にも諸説あるようです。


場所は東吾妻町、原町中学校北側の舌状台地の上に築かれています。
まずは2009年春の一度目の訪問。



P5010062.jpg
台地先端にある稲荷神社。この登った裏に城があるという情報だったが・・・



P5010065.jpg
石段を登り、とりあえず神社参拝。
しかし、その裏は畑が広がるのみで遺構らしきものなし。

代わりにたくさんの石塔が並び立っていた。



P5010067.jpg
神社本殿付近より。

このあたりの地形も若干城館臭が漂うが、この時は詳しい下調べをしていなかったので、やむなく退却することに。



P6190533.jpg
約2カ月後、二度目の訪問。
上の写真よりも草の勢いが違う。

今回は下調べをしていたので城のだいたいの位置は把握しています。
が、辿り着く道は少々わかりにくい。
とりあえずここでは神社左手に登る道を進みます。



P6190500.jpg
進んで行くと民家があり、さらに民家の裏の畑を登っていくような形になります。
ここが少々気を使ってしまうところです。
一声かけた方がいいのだろうか・・・と、悶々としながらも奥の怪しい地形に進むと、突然それは現れます。



P6190501.jpg
見事な土塁&虎口!

ここに到るまで何の案内表示もなく、これを見るまでは本当にこの場所であっているのだろうかという不安を持っていたのですが、そんな心配は完全に吹き飛びました。



P6190502.jpg
とりあえず虎口手前で止まり、左側を見る。

見事な土塁と堀。



P6190503.jpg
右手。

こちらも見事。



P6190505.jpg
それでは虎口より入城!



その②


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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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