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真田陣屋 ~悪政、ここに極まれり~

真田氏というと講談で有名な幸村の影響もあってか全国的に人気が高い一族となっています。
上州にも真田氏関連の史跡が多く、特に小松姫のエピソードで知られる沼田などは上田・松代に並ぶ真田氏の本拠ともいえるところで、真田人気は高いと思われます。

しかしそんな真田一族の中にも、悪政で名高い領主がいました。
その領主は真田伊賀守信利。真田信之の直系の孫にあたります。

信利は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662年)より領内総検地を断行し、表高3万石に対して実高14万4000石を強引に打出し幕府に報告した(沼田藩改易後、幕府が再度検地をしたところ、実高は6万石に過ぎなかった)。また、沼田城を修築して五層の大天守閣を立て、江戸の藩邸も松代藩邸に引けをとらぬ豪奢な造りに改装したため、領民は重税を強いられ多数の餓死者を出すなど、ますます窮乏していった。
(wikiより抜粋)

ここで群馬県人なら誰もが諳んじることができる経典「上毛かるた」に登場する人物が関わってきます。

「て」の札のあの人です。



そうです。「て」といえば

「天下の義人 茂左衛門」ですね。(わからない県外の人すみません)

ただ読み札は反射的に答えられる群馬県人でも、この人がどのような事を行ったのか答えられる人はほとんどいないと思われます。
ネットで検索すればいくらでも情報が出てきますが、こちらのサイトがわかりやすく詳細にまとめているのでおすすめです(このサイトで掲載されている信直は信利の別名)。


さて、その信利が寛永十六年(1639)から明暦三年(1657)まで陣屋を構えていたのが、50選選定城郭である小川城の二の丸部分。


P1070014.jpg
小川城二の丸址。

本丸とは国道を挟んで反対側にあります。



P1070015.jpg
奥の方、畑の傍らに看板が設置されています。

行ってみると・・・



P1070018.jpg
「真田伊賀守陣屋(御寝所)址」

戦国期の城を陣屋として改修して再利用することはままありますが、本丸部分はあまりに要害性が高すぎるため、広さもあり交通も便利な二の丸部分を居所として選択したのでしょう。



P1070019.jpg
背後に聳える山は味城山。
あの山の頂上に築かれた見城の柵を攻略する予定だったのですが、麓の岳林寺まで行ったところ思いのほか積雪が多かったためこの日は断念しました。



P1070020.jpg
小川城二の丸濠址。

このあたり、陣屋として利用された時期に改修された可能性もあると思いますが、あくまで陣屋としての遺構ではなく小川城の遺構ということで見ているようです。



P1070022.jpg
二の丸濠(≒陣屋の外周)からみた小川城本丸方面。
幟がたくさん立っているあたりです。



P1070024.jpg
ついでにちらっと小川城見学。



P1070012.jpg
同上。
相変わらずすごい堀でした。



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所在:群馬県利根郡みなかみ町月夜野
評価:

表示物があり遺構も残っていますが、その遺構は小川城のものとみなしてこの評価。城郭大系には信利の居所と「磔茂左衛門」の茂左衛門地蔵が奇しくも至近の距離にあると記載されていますが、地蔵の場所はわかりませんでした。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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