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鷹留城① ~長野氏要の城~

鷹留城は長野業尚(尚業)が明応年間(1492~1500)に築城。箕輪城が築かれるまで長野氏の本城であったともされ、箕輪城築城後も最有力支城として機能しました。

自分が本格的に城巡りを始めた最初期に訪問したお城の一つです。

場所は少々わかりにくいのですが、有名サイト・埋もれた古城に掲載されているこの案内図を参照するのがわかりやすいでしょう。当時はまだ文化財情報システムの存在を知らなかったので、この案内図だけを頼りに訪城したことをよく覚えています。



P1190103.jpg P1190103s.jpg
上記案内図に沿った城までの道のり。まずは榛名町役場(現高崎市榛名支所)そばの駐在所へ。

駐在所の傍の三差路には案内図にある通り道しるべが設置されています。



P1190104.jpg
民家の脇を抜けたところ。

ちなみに右手の山上には松山城があります(この時には知る由もないが)。



P1190107.jpg
梅林越しに右手前方に城山が見えてきます。

この先の分岐で右側の未舗装の道へ。



P1190113.jpg
車は未舗装道に入ってすぐのところに置き、歩いて先へ。

小型車なら何とか進めそうな感じだが、無理は禁物。



P1190114.jpg
ちょっとした広場に出ました。

いろいろと設置物があります。



P1190116.jpg
ここが鷹留城の大手口跡で、標柱もあります。



P1190117.jpg P1190115.jpg 
立派な石碑があったので城の沿革でも刻まれているのかと思いきや、すべて歌碑でした。

このような歌碑はいたるところで見かけましたが、城に関係ないものがほとんどです。



P1190118.jpg
左手に進んでみます。



P1190119.jpg
この道は本来の登城路ではないようで、城の麓をぐるりと巻いて北側へと抜けていきます。

右手の山上が城の中枢部になります。



P1190120.jpg
その中枢部方向を見上げて。これは竪堀です。

この頃は城めぐり初期の段階だったため城の構造については詳しくなく、当然縄張図も持っていませんでしたが、それでも城の遺構と気が付くほどに明確なものです。



P1190121.jpg
城の北側に出ました。

この時こちら側に道路が通っていることに初めて気が付きました。
当時の手持ちの道路地図にはこの道路は載っていなかったので、まだ新しい道です。
これから訪れる人は、城の北側を走るこの道からアクセスすると便利だと思われます。

それでは城内へ進みましょう。


その②

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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