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新土塚城 ~まだこれほどの城が・・・~

たまには最近攻略した城の紹介、ということで、2011年年末の攻城記録。
2011年はそれ以前と比べて攻城数が激減してしまった年ですが、それでも平地居館(☆か★クラスがほとんど)を中心にそこそこ数を積み上げはしました。
そんな年の中で印象的だった平地の城がこの新土塚城

大系によると、由良氏の家臣で大胡城代の増田繁政の居城とされています。
地元の伝承では、新土肥前守が城主のとき二之宮城主と争って敗れ、城主以下家臣を葬ったことから新土塚と言うようになったと伝わります。ちなみに新土肥前守についての詳細は不明。

場所は伊勢崎市に隣接する前橋市の二之宮町。その南端部にある文殊尊を目指しましょう。



PC250092.jpg
北関東道の下をくぐり、北側から接近。

平地が広がる中、前方にこんもりと繁った怪しい地形を確認。



PC250094.jpg
北側からの城域。地図だとこの道は文殊堂まで繋がっているのですが、実際は途中で通行止めになっています。
徒歩なら進めそうでしたが、藪っていたので迂回。
東側正面からちゃんとした道で入れますが・・・



PC250118.jpg
東側からの道、川でもないのに橋が架かっています。
その理由はこの堀。これは・・・
なんだこのマイナー城郭にあるまじき規模は!

有名どころはあらかた行き尽くし、後は奥深い山城ぐらいしか驚くような城は残ってないだろうなと思っていた自分にとって、まさか平地の城で衝撃を受けるとは思っていませんでした。



PC250098.jpg
橋を渡ってすぐのところに、新しめの標柱発見!
側面には「荒砥史談会」の表示が。これは今井城の標柱を設置したのと同じ団体ですね。



PC250106.jpg
西を流れる荒砥川に架かる「文殊橋」。一旦橋を渡り、対岸から城を眺める。

中央の小高い丘が円墳である文殊山古墳。物見台・烽火台として使用されていたとされます。



PC250105.jpg PC250108.jpg
橋の上から見た城の北側と南側の様子。

この荒砥川を上流に遡ると今井城に到達します。
前述の史談会は自治会の枠を越え、荒砥川つながりで活動しているようです。



PC250111.jpg PC250110.jpg
中央部にある目立つ塚(古墳)へ。
古墳の上に建てられた「智技授山文殊尊」。標柱もあります。



PC250112.jpg
「古利文殊尊利益」。



PC250114.jpg
境内。高さはありませんが周囲が平地のため見晴らしはそこそこあります。



PC250121.jpg
帰路、東側の大堀が北側にも続いていたので、もう一度城の北側へ。
やはり堀が続いています。(ちょうどこのページ2枚目の写真中央部分に該当)
先ほど通過した時は規模が大きすぎて気が付かなかった。


平地だと山の中と違って堀など簡単に埋められてしまうので、平地城館できっちり堀や土塁が残っている中世城郭は数が少なく、そういった城はマニアの中では知名度があります。
が、この城は中世城郭マニアの中でもそんなに知名度はありません。

自分が訪れた時の印象は、まさにタイトルの通り。

「まだこれほどの城が、知られずに残っていたのか・・・」



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所在:群馬県前橋市二之宮町
評価:★★☆(2012/9/2評価見直し)

周囲を川で囲まれ、残った地続きの基部を堀で分断するという単純な縄張りの城ですが、これほどの堀が残っているとは思いませんでした。遺構の良く残った平城で城址碑あり、という自分好みの城(山城でなく平地の城というところがポイント)。50選に紙一重で、個人的お気に入り度ではベスト50クラス。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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