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金古城 ~金古家長とは~

大系の記述によると金古家長の城であるといいます。人物についての詳細は不明。
(追記:あるいは金子家長のことか。小田原北条氏滅亡後、金子一族の一部が現在の金古地区に土着し、それが地名になったという話もあります。金子氏についてはこちら

場所は旧群馬町の金古内林、吉岡町との境近く。
金古1区集会所の北西、川を渡ったあたりが城域になります。




P8300055.jpg
文化財情報システムに「伝金古城跡」と表示されている地点。
とりあえず土塁跡らしき。周辺は宅地化されています。

以前どこかの記事でも書きましたが、相変わらずこのシステムは高崎市の城館だけ城の名称で表示されていないので探すのがめんどくさい。おまけに城の表示範囲が明らかに間違っているっぽい。重なって表示されている別の遺跡と表示が入れ替わっているのではなかろうか。



PC040007.jpg
城域表示が全く信用できないので、周辺をもう少し探索。
大系によると180m四方の規模の城というので、探索範囲をそのくらい広げてみると、北西角に土塁あるいは楼台跡のような地形発見。



PC040008.jpg
このあたり一帯は内金古古墳群の該当地であるため、これも古墳なのかもしれません。

ここより北側は若干低地となっており、往時は泥田あるいは低湿地であった可能性もあります。
これを物見台として利用すれば充分北側の備えになります。



P8300058.jpg
こちらは城域の南を流れる川の対岸から撮った写真。

要害性があるように見えますが、当時の地形そのままではない気もします。



P8300061.jpg
近くの古い家の板戸は小洒落た感じのものでした。



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所在:群馬県高崎市金古町
評価:

ところどころそれらしい地形も散見されますが、城の表示物が皆無なので×。城域内に寺や神社もないので目安の写真すら撮れず。沿革面も、箕輪の支城と考えられるもののいまいち不明です。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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