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植栗城 ~植栗氏の居城~

植栗城は吾妻氏の一派である植栗氏代々の居城で、応仁二年(1468)、植栗安芸守の伯母婿である柳沢直安(柳沢城主)が斎藤行弘(岩櫃城主)に襲われてここに逃れた。
吾妻三家のひとつである大野氏(稲荷城)が実権を握り岩櫃城の城主となった時、斉藤氏、植栗氏も一時これに従う。後にいさかいが生じ、大野氏は斎藤憲次(岩下城)に植栗河内守(大系では安房守)元吉を討つように命じるが、斉藤氏と植栗氏は親族の関係であったため、憲次は逆に元吉と手を組んで大野氏を滅ぼし、岩櫃城主となった。その後植栗氏は斉藤氏に従い真田勢とも戦ったが、岩櫃落城後は真田氏の家臣になったという。

(城郭大系等参照)


東吾妻町の植栗地区北端、吾妻川に面する台地の先端に築かれた城です。
r35植栗交差点北東、太田小学校北側を目指しましょう。


PC310157.jpg
植栗地区からは斉藤氏の最後の城、中之条の嵩山城が良く見えます。



PC310158.jpg
城に到着。一段高くなっているのが本郭部分。
遠目にも標柱のようなものが確認できます。

さて、道路に車を停め標柱目指してノコノコと近づいて行くと、隣に住んでいる地主の方と鉢合わせに!
「城を見に来ました」と怪しい者ではないアピールをすると、意外にもすんなり内部まで見学を許可してもらえました。
お話によると、これまでも稀にこの城を見にやってくる人たちがいたとのこと。
「南側には城主の石碑がある」ということも教えていただきました。感謝。



PC310161.jpg
これで安心して見学ができます。

まずは城址碑。



PC310162.jpg
もう一つあった標柱はなぜか道路とは反対側の断崖方向を向いています。

この写真の左手側が本郭、右が本郭西側の空堀跡になります。



PC310163.jpg
本郭北西、外郭(二郭?)との間の虎口跡か。



PC310165.jpg
北側は吾妻川に面した崖です。

北毛地区に多い、典型的な崖端城です。



PC310168.jpg
本郭先端、大系の縄張図に「ひめ宮跡」とあるあたり。何もありません。

「跡」なので消滅したか、移転されたのでしょうか。



PC310172.jpg
鉄塔があるあたりが帯郭。



PC310173.jpg
帯郭の外には小川が流れていて、吾妻川へと落ち込んで行きます。

天然の外堀となっています。



PC310175.jpg
地主の方に言われた通りに城域の南側まで足を延ばすと、確かに石塔がありました。

これが植栗安芸守の碑です。



PC310176.jpg
大系の図ではこの碑の奥に「古井戸」というのがあるのですが、それらしいものはなく、代わりに竪堀状の地形が見て取れました。



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所在:群馬県吾妻郡東吾妻町大字植栗
評価:★☆

しっかり表示物があってうれしいお城。現在は植栗安芸守の石碑の傍らにもそのことを示す標柱が設置されているようです。地主さんの手で整備されているようで、見学したい場合は一声かけてからの方がよいと思われます。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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