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松井田西城 ~安中氏初期の本拠~

戦国時代、安中松井田の両城を拠点とし、最盛期には碓氷郡一帯に支配権が及んだ安中氏。
その安中氏が松井田城を築く前に居城としていたのがこの松井田西城と伝わります。
いかにも松井田城の西側を守る支城のような位置にありますが、実はこちらの城の方が先なのですね。

『上野志』には「(安中忠親が)越後国新発田より長享元年(1487)四月、上野国碓氷郡松井田西城小屋へ引移り住居す」との記述があります。

また城郭大系によると、永禄4年の武田信玄の進攻の際、信玄が梅原明神に戦勝祈願した攻撃目標が西牧高田諏訪の三城であったが、この諏訪城松井田城あるいは松井田西城の事である、としています。



このことについて、wikiの記述は以下の通り。

松井田城の)築城は永禄初年、1560年頃とみられているが、既にこの地には城が存在した。安中忠親の松井田西城と諏訪氏の諏訪城である。長享元年(1487年)に安中忠親が城主としてあり、その子・忠清が榎下城に移ったという。その後、諏訪氏が西城に入っており、諏訪城の名で永禄4年に武田信玄の攻撃を受けている。諏訪氏の後は、再び安中氏が松井田を領したらしく、安中忠清の子・忠政が安中城を築城したが、その際に忠政は子・忠成を安中に置き、自身は松井田城を改修し居城としたという。安中氏の行動は武田信玄の西上州進出に対抗したものであり、この時本格的に整備されたと考えられる。
(wikiより抜粋)

ちなみに大系ではwikiの内容に加え、
(安中氏の武田氏に対抗して松井田城を整備した動きは)隣接する新田(後閑)・小幡の両氏が甲斐に去り、唇滅んで歯寒しの感がきびしかったからであろう。

という文が続いています。


さて、探訪記に入ります。

ここを訪れたのは3年前の6月。
6月とはいえ気温は35℃はあったかというとにかく暑い日。
この日は既に愛宕山城坂本城を攻略した後で、おまけに刎石坂までチョイと登ってみたりもして、体力ゲージは0に近い状態です。この時の記事で紹介したのと同じ日になります。
へろへろになりながらも、ちょうど帰路にあったため、行き掛けの駄賃として立ち寄る。

夏場の山城登城など論外もいいところですが、このころの自分はまだ若さがあふれていて(笑)、季節を問わずちょくちょく飛び回っていた時期です。
今ではいい加減学習したので、夏場の山城登城は禁じ手としています。
むしろ真冬以外には山城には食指が動かない体となってしまいました。


P6120246.jpg
場所は松井田町新堀の金剛寺一帯。

「続・群馬の古城」の縄張図では、金剛寺とその裏にある諏訪神社、さらにその背後の山までを城域としていたようです。
ただ、あくまで初期の居城であったため、その形状はいわゆる「館城」に近いとしています。



P6120245.jpg
前述の通りとにかく暑い日だったので、僅かな日陰を求めてその下に駐車。

こうしておかないと車内が高温になりすぎて死ねます。



P6120247.jpg
金剛寺略縁起。

毒蛇の話など結構面白かったが、残念ながら城に関する記述は一切なし。



P6120248.jpg
立派な門だあ。

このあたりの門や石垣の配置、いかにも城館風の構造に感じられます。



P6120249.jpg
だけど境内はスルー(笑)



P6120250.jpg
庭園を横切って・・・



P6120252.jpg
裏へ続く諏訪神社への道・・・は、とんでもない藪!

撤退しようかとも思ったが、ここまで来たんだからと強行。
半袖1枚だったので、腕や首筋を守るのに苦労した。



P6120253.jpg
入口は酷い有様だったけど、中は多少ましな状態です。



P6120254.jpg
諏訪神社への道。味がありすぎ。

城として見ると、いかにもな地形です。



P6120255.jpg
う~ん、思った以上に要害性はあるじゃないですか。そりゃ松井田城と比べたら比較にはならないレベルだけど。

この城は尾根の突端から下に大きく分けて3つの郭があり、金剛寺が下段、諏訪神社が中段、神社背後にもう一つ上段の郭がある構造です。



P6120257.jpg
諏訪神社。

wikiでは諏訪氏が西城に入ったことにより諏訪城の名称が混同されたとしていますが、この古い諏訪社の存在を考えると、信玄の古文書にある「諏訪城」はやはりこの西城も含めて指しているように思えます。



P6120259.jpg
神社東側、自然地形を利用した土塁。



P6120260.jpg
神社から参道を振り返って。

あまりに暑かったので上段の郭へは行きませんでした。



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所在:群馬県安中市松井田町新堀
評価:★☆(2012/9/2評価見直し)

城の表示物はありませんが雰囲気は感じられるのでワンランクアップ。文化財情報システムには松井田西城諏訪城)と表記されており、この表記方法は自分の考えと一致しています。が、例によって表示位置が間違っており、金剛寺西側数百m地点と山の斜面をを跡地として表示しています。念のためにその辺も見てみましたが、明らかに該当地ではありませんでした。これらの表示をそのまま東へ数百mずらせばぴったり現況と一致しそうです。いつか修正されることを期待。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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