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梅原館 ~返り忠?桐生六郎の思案~

梅原館跡は平安時代に桐生を所領した、足利俊綱の家臣である桐生六郎(前桐生氏)の居館であったといわれている。
室町期になり桐生国綱(後桐生氏)によって桧杓山城が築かれ、領主の居住地が城山の麓である居館に移ったことによって、この梅原館跡は下屋敷となり、ここを基点とした町屋づくりが行われたものと推考される。現在でも西・南側の一部と北側には土塁が残され、その外側には掘跡の痕跡が認められる。また、南方約500メートルにわたっては、町屋跡と考えられる古い町割りが残っている。
昭和63年度と平成元年度に館跡内と掘跡の一部が発掘調査された。その結果、館跡内からは多数の柱穴跡が発見され、継続的な建築物があったことが明らかとなり前桐生氏の時期である12世紀代の遺物を認めることができた。また、堀跡の発掘調査では、上幅7メートル、探さ2メートル、底幅3メートルほどの丸堀であったことが判明した。さらに、堀は14世紀後半から16世紀にかけて遺存したことが確認され、ここ梅原館跡は桧杓山城が築城された後桐生氏の時代になっても、城館としての機能を有していたことが裏付けられた。
発掘調査によって得られた出土遺物は、土器類のほか中国製の青磁を含む陶磁器片である。そのほか特筆されるものとしては、堀跡から中世の漆器としては出土例の数少ない、赤漆塗の木製椀が発見されたことである。

(桐生市HP参照)


桐生氏の出自については諸説あり今でも研究が続けられているところですが、この桐生六郎は前桐生氏の祖とされている人物です。

桐生六郎(きりゅう ろくろう、生年不詳 - 寿永2年9月18日(1183年10月6日))は、平安時代末期の人物。足利俊綱・忠綱父子の家人である。
野木宮合戦に敗北した忠綱は上野国山上郷竜奥に籠った。忠綱の郎従たる六郎は忠綱にただ一人付き従って数日間隠れていたが、忠綱を諌め、山陰道を経て九州へと向かわせた(寿永2年2月25日)。
同年9月13日、俊綱を討つべく源頼朝が派遣した和田義茂の使者を通じ、頼朝への忠節を示すべく主人たる俊綱を斬ったのでその首を持参したい旨頼朝に伝えた。 9月16日、さらに梶原景時を通じて「俊綱を斬って首を持参した賞により御家人として頂きたい」と頼朝に伝えた。
9月18日、頼朝は景時に「譜第の主人を殺す所存は不当であり、いささかも賞賛すべきでない。早く誅殺せよ」と命じた。景時は六郎を斬り、その首を俊綱の首の傍らに晒した。頼朝は義茂に対し、桐生の者を含む俊綱の子息郎従で降伏してきた者を許す旨下命した。

(wiki参照)


梅原館の場所についてですが、桐生女子高の南・梅原薬師堂がある場所がそれにあたります。
桐生信金の裏側にあり、県道から1本奥の路地に入るため微妙に見つけにくいところです。



PC100114.jpg
梅原薬師堂。境内まで車で入ってこれます。
この薬師堂を囲むように土塁が残存しています。



PC100115.jpg
説明板が設置されているのがうれしいところ。
冒頭に掲載した内容と同様のことが記されています。

俊綱の首を持参して云々の件は一切カットされていますが。



PC100118.jpg
完全な形ではありませんが、周囲をコの字型で取り囲む土塁は健在です。
往時にはこれが完全な形で周囲を取り囲み、外側には堀も設けられていたのでしょう。
現在も一部堀跡が確認できます。



PC100117.jpg
薬師堂裏、土塁前には多くの石仏や墓石が建ち並んでいました。


さて、返り忠が許されなかった桐生六郎は頼朝の命により処刑されてしまい不忠の臣とされてしまいましたが、この史実についても様々な見方があり、俊綱本人が自分の首を頼朝に持って行けと六郎に命令したという説もあります。自分の首を手土産に頼朝に謁見し、首実験で近くに召しだされた機会に頼朝を暗殺せよ、と。
このことについて考察されているサイトがあったのでリンクを張っておきます。こちら



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所在:群馬県桐生市梅田町1丁目
評価:★☆

そんなに大規模な城館ではないですが、結構お気に入りのところ。やっぱり自分は下手な山城より単郭方形館の方が好きなんだな~と再認識しました。
桐生六郎の子孫は四代目に至るまでここ梅原館に蟄居します。桐生氏が再び歴史の表舞台に登場するのは柄杓山城を築城した桐生氏中興の祖・桐生国綱の登場を待たなければなりませんが、この桐生氏歴代当主についても諸説ありはっきりと定まってはいないところです。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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