コメント
1. すごいですね
一人では危険!と注意書きされてしまうような城だったのですね・・・。
なのに、正規ルート以外から城攻めされるとは、流石です!
無事のご帰還、お疲れ様でした。
私も撤退戦は得意です(笑)
行きは(体力的に)大変、帰りは(道的に)怖い、となることがよくありますが。
城めぐり探訪記
ネットで情報集めをしていたら、この城を紹介しているページもいくつかありました。
こちらのページ は沿革も詳しく参考になります。
しかし「山の中、道なき道をひたすら上を目指して歩くので大変に危険。一人では行かないほうが無難です」との記載が。行く前に見とけばよかった・・・
帰路、大堀切のところまで撤収したところ。
あとはただ下山するだけ。下りは例によってかなりのハイスピードで駆け降りるのですが・・・
前回も触れましたが、この大堀切のところは絶壁と隣合わせでかなり危険。
もちろんそれは十分承知で進んだのですが、下りで勢いがつきすぎて・・・
ウワーイ
これは転んだのではなく、勢いがつきすぎて転落の危機に瀕したため、勢いを削ぐ為にわざと倒れ込んだのです。一瞬生命の危機を感じました。
右側の崖下に引き込まれるような不思議な力を感じましたよ。
止まってよかった。
下りは登りの2.5倍くらいの速度。撤退戦は得意。
岩盤の先端。その①でハアハアしながらよじ登ってきたところです。
さて、ここからがまた大変。
何せ道の無いところを登ってきたわけなので、下りは余計神経を使います。
もはやジャングルジムの感覚に近いかも。
えっと、これはなんの写真かと言いますと、下りの途中で転落した場所の写真です。
地面に削り取られた跡がありますが、尻餅をついたまま2mほど滑り落ちてしまいましたよ。
2mとはいえ滑り落ちている時間はかなり長く感じ、頭の中は「ヤバい!」の一色でした。
登りよりも安全そうなルートを選んで降りてきたため、全然違う場所に迷い込んでしまいました。
適当な場所から下りるのはリスクが高いと天屋城で学んだのですが、登ってきたルートがそもそもハイリスクすぎるため、これはやむをえない・・・
そのまま先端まで進んだら、国道の真上の絶壁に突き当たってしまった。ここから下りるのは不可。
とは言えゴールが見えたのは精神的には安心します。この後迂回と藪漕ぎを行い、生還。
車を運転する気力も怪しいところでしたが、何とか帰路につきました。
・・・しかしこれで終わりではありません。そう、肝心の城址碑を発見していないのです。
このままではこの城の評価が1.5★くらいになってしまう。
後日、城址碑を発見するためだけにはるばる再訪。
眼を皿のようにして車を走らせていたら、あっけなく発見しました。城址碑と説明板です!
・・・「加沢記」によると、永禄八年(1565)の嵩山合戦で、武田方の真田幸隆が「仙蔵の要害に懸け上がり、軍の下知をし給けり」とあります。真田勢は嵩山合戦ではこの城を足がかりとしましたが、嵩山城落城後はこの城の存在意義は薄れ、廃城になりました。
(説明板参照)
説明板の縄張図の拡大。
赤が推定登城ルート。青が推定下山ルート。
点線の登城路を使っていればこんな目に遭わずに済んだと思われる。
これがその点線ルート。説明板のところから伸びてます。
それなりに険しそうな道だが、手を使ってよじ登る心配はさすがに無用のようだ。
ちなみにここが登り口&説明板設置箇所です。
自分が登った所よりもさらに数百m東側でした。
トンネルなんか全然先じゃん。騙された。
これは内山城からそう遠くない上妻橋のたもとにあった案内板。
蝦蟆渓谷についての説明があります。写真中央上の川沿いの崖にカエルのような形の岩が描かれているのがわかりますでしょうか。
(蝦蟆渓谷についてはこちら に紹介しているサイトあり)
1の辺りに内山城
2に桑田城
3が山田城
これ以外にもこの案内板、周辺の名所についての記載が詳しいので、このあたりを探索する人はぜひ見つけてほしいものです。自分はすべて探索し終わった後に発見してしまった・・・
もう一つあった案内図。
桑田城が近世城郭風に描かれているのがちょっとアレですが、突っ込むのは野暮なんでしょう。
蓮華畑は5月いっぱい花盛りとあります。
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所在:群馬県吾妻郡中之条町大字折田
評価:★★★ 50選に選定
城址碑を発見して満足の評価。複数回転倒した城なんてここくらいのものです。険しさはかなりのものですが、正規ルートから登城すればここまでひどい目には合わないと思います。ってそんなの当たり前じゃ!
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