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津和野城② ~千姫事件~

リフトを眺めていても乗れるわけではないので、先へ進みます。



KDの城館探訪記

こんな感じの山道が続くのは変わらず。


勾配は思ったほど急ではないが、距離はあります。





KDの城館探訪記

途中、説明板が設置されています。


織部丸の東側下斜面に、中世山城の遺構が残っているとあります。

珍しい三重堀切があるとのこと。


確認しようにも藪がひどく、蚊も発生したため断念。





KDの城館探訪記
なんだかんだで尾根上に到着。


ちょうど山上の鞍部になっている場所で、右手のリフト乗り場へは少し上り坂になっています。

左手が本丸方向ですが、こちらはいったん下った後、また登りになります。




KDの城館探訪記

説明板発見。


この城はもともと一本松城と呼ばれ、そののち三本松城と改められます。


書き記すのが面倒なため、wikiからコピペ。


鎌倉時代、元寇の翌年の弘安5年(1283年)吉見頼行は沿岸防備のため西石見地方の地頭としてこの地に赴任した。永仁3年(1295年)より三本松城津和野城の旧名)の築城を開始し正中元年(1324年)完成した。以後、14代にわたり吉見氏が居城した。

吉見氏は戦国時代には当初、大内氏に属したが、戦国末期には最終的に毛利氏に属した。この間、11代当主正頼は天文23年(1554年)に大内氏を滅ぼした陶晴賢と100日以上に及ぶ籠城戦の末、陶軍を撃退した。この際に毛利軍の援護を受け、これ以後、毛利氏に属した。14代当主広長は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて毛利配下として大坂城を守った。しかし、毛利輝元を総大将とする西軍が敗れ、毛利氏は防長2国に押し込められた。吉見氏も津和野を退去し、毛利氏とともに萩に移住した。

代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、城の大改修を行った。大手の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や織部丸を築いた。この時、二の丸に天守を築いた。直盛は元和2年(1616年)かの千姫事件で自害(または家臣に殺されたとも)し、坂崎氏は改易となった。

元和3年(1617年)因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となった。

貞享3年(1686年)城は落雷にあい火災が発生した。この際に天守も焼失し、以後再建されることはなかった。





KDの城館探訪記

立派な城址碑♪





KDの城館探訪記

最後の家族客。リフト乗り場へと急いで行った。


これで貸し切り状態。





KDの城館探訪記

も一つ説明板。


中世山城の遺構の解説や、登城ルートが記された地図があり、とても参考になります。




KDの城館探訪記
最後の登りです。





KDの城館探訪記

おお、見えてきましたよ。





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主郭部手前のこの場所が東門跡であり、いわゆる番所があったところのようです。


ここから左手側のルートはどうも崩落があったようで、立ち入り禁止になっています。

シートが被せられ、少し痛々しい感じ。


ここから天守台下へ向かう道も、仮設通路みたいになっていました。





KDの城館探訪記

この仮設通路がないと、先に進むのが軽く困難です。


しかし奥の石垣、これはスゴイ。





KDの城館探訪記
天守台下にも説明板が。


これには縄張図も記されています。要チェック。


石垣の大きいものは2トンを超えているものもあるそうで。

それを3キロ北方の採石場から運び上げたというのだから、いやはや・・・



こちらにも千姫事件の記述があります。

千姫は、改めて説明するまでもないかもしれませんが、今話題の江と秀忠の間に生まれた長女です。

祖母・の聡明さと美貌を受け継いだ、たいへん美しい姫君であったといいます。


慶長2年(1597年)5月26日、秀忠と江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。 慶長8年(1603年)に7歳で秀頼と結婚し、乳母の刑部卿局とともに大坂城に入る。秀頼とは従兄妹にあたるが、たいへん夫婦仲睦まじかったという。慶長20年(1615年)19歳の時、大坂夏の陣では、祖父である徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。その後、秀頼と側室の間の娘奈阿姫(天秀尼)が処刑されそうになった時に千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける。

(wikiより)


そして、千姫事件とは・・・

元和2年(1616年)、桑名藩主本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。この時、津和野藩主坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し、直盛は自害(もしくは家臣により殺害)、坂崎氏は改易処分となった(千姫事件)。一説には大坂城落城の際、千姫を救出した者と千姫を結婚させるとの家康の言葉を受けた直盛が、顔に火傷を負いながらも千姫を救出したが、直盛の器量が悪いことから千姫が結婚を嫌がり、結局美男の本多忠刻と結婚することになったという。直盛の襲撃計画はこのことを恨んでのものとされ、長く信じられていたが、現在ではそもそも大坂城で直盛が千姫を救出した話自体が疑わしいとされている[要出典](実際には堀内氏久という豊臣方の武将に護衛されて直盛の陣まで届けられた後、直盛が秀忠の元へ送り届けた、というのが真相らしい。それに、千姫を与えるではなく、嫁ぎ先を探すのを頼まれたのが真実らしい)。[要出典]


坂崎出羽守、無念!

ちなみに某大河では千姫を救出したのは直江のかねたんということになっています。

なんの関係もないだろ(笑)




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西櫓門跡。





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うつくしい・・・





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奥にもひときわ高い石垣が見えますが、とりあえず先に天守台へ登ります。





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縄張りの妙で、登れる箇所が限られています。





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後ろを振り返って。

西の丸、あるいは台所と呼ばれている郭です。




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天守台に到着したでござる。




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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
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