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平林城 ~揚北衆筆頭・色部氏の居城~

南北朝時代に南朝方に付いた平林氏の城であったが、北朝方で鎌倉時代以来の地頭だった色部氏が攻め滅ぼし居城にした。以降、代々色部氏の本拠地となった。

永正の大乱では、城主色部昌長は越後守護上杉房能に従い、守護代長尾為景と対立。永正5年(1508年)5月に為景方の鳥坂城主の中条氏や築地氏らに攻められ落城、降伏して長尾氏に帰属した。

天文8年(1539年)、色部勝長の時には守護上杉定実の養子縁組問題から伊達稙宗・中条藤資に攻められるが、伊達氏の内紛で撤退した。その後勝長は上杉謙信の重臣として活躍。

色部長真の代の慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封により廃城となった。

1978年(昭和53年)9月18日、平林城跡は国の史跡に指定された。

(Wiki参照)


揚北衆とは越後北部、阿賀野川北岸一帯に割拠した国人豪族のことです。

詳細はこちら


このブログではよくWikiの内容を載せていますが、これは単に転載するのに気がねがいらないから利用しているだけで、必ずしもWikiの記載が間違いないとは思っていません。

むしろ、だいぶ怪しい記載もちらほら・・・




KDの城館探訪記

R7を北上、荒川を渡る手前あたりで、平林城の遠景が右手前方に見えます。


なかなかに険しい山城ですが、今回は山上にある要害部分には行かず、麓の居館部だけの見学です。





KDの城館探訪記

ちょっと迷ってしまったが、登城口に到着。


まず目に入るのが、ご覧の城塁。


いわゆる館城と呼ばれる形式で、山麓の居館部と言っても十分な要害性を持っています。





KDの城館探訪記
ここから奥へ進んでいきます。


国指定史跡ということもあり、各種表示の類はばっちり。




KDの城館探訪記

案内図。


山城部分にはのろし山、物見山、かご山(要害山)、みのわ(詰の城)といったものが連なっています。

そのほか風穴や首切清水、「館岩」「うばふところ」といった興味深い地名も。


行きたいことこの上ないが、今回は泣く泣く断念。





KDの城館探訪記

今改めて見ると、この要害山は登山道が周回コースになっているようです。


同じ道を往復するよりもモチベーションが高まります。





KDの城館探訪記
さて、城内。


何の変哲もない林の中のようですが、既に右手には塁線が続いています。





KDの城館探訪記
この右手一帯は岩館といい、2枚目の写真のところからずっと繋がっている広い曲輪です。




KDの城館探訪記

左手には、虎口へつながる道が。





KDの城館探訪記

土塁です。


ここまでが岩館曲輪。





KDの城館探訪記

また説明板発見。この図では岩館曲輪は三の丸として描かれています。


手の込んだ複雑な作りです。





KDの城館探訪記
土塁の先にも土塁。






KDの城館探訪記
「鍵型通路(堀)跡」とあります。


普通に堀底道です。





KDの城館探訪記
中曲輪。





KDの城館探訪記
本郭(殿屋敷・現地説明板では本丸)前の堀(殿堀)。


説明板によると、発掘調査により本丸虎口門及び橋脚の遺構が検出されたとのこと。


今架かっている橋は後世のものだが・・・





KDの城館探訪記
どうしてこうなった。





KDの城館探訪記
本丸内は一面藪の平場でした。


奥に何かあるかなと思って突き進んでみたが、徒労に終わった。

北側に広がる谷を見て、要害性を再確認できたくらいか・・・


ちなみに、こちらにも城の由来を記した説明板あり。


それによると、ここは承久の昔(1190)より豪族平林氏代々の居城であったが、南北朝動乱の際、平林氏は色部氏の意向に反して新田義貞勢に属したため、色部氏に攻められ城と領地を没収された、とのこと。


このほか、山頂までの古城址は平林加護山城と呼ばれていることや、慶長3年色部氏は米沢金山城へ移ったことなどが記載されています。




KDの城館探訪記
見事な空堀。





KDの城館探訪記

東のはずれに「古城要害山登山口」があります。


要害部へはここからスタート、ですが今回は攻略せず。残念!






KDの城館探訪記

北西側、案内図に「弁天島跡」とあったところ。


畑の中にマウント状の地形があります。かつてはこのあたり一帯は湿地帯だったのでしょうか。




KDの城館探訪記
一周して戻ってきました。




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登城日:2009年5月4日  所在:新潟県村上市平林

評価:★★★


とりあえず館城部分のみの評価。堀や土塁がよく残っており、散策するのが楽しいところです。次回はぜひとも山上部分を攻略してみたい。

城主の色部氏は、勝長の代に川中島合戦に参戦し戦功を揚げ、謙信から「血染めの感状」を与えられるなど、「股肱の臣」と頼られたことでも知られています。
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コメント

1. 居館


とはいえ、なかなか堅固な感じですね。

土塁や堀も素晴らしい状態で残っていますね。
案内碑も立っていて、非常に判りやすいのも良いですね。

それにしてもあの橋…なんであんなになったんでしょう?

2. Re:居館


>syunpatsuryoku1号さん

件の橋ですが、豪雪地帯ということが影響しているのでしょうか。

雪に埋もれた結果、橋桁部分の劣化の進行が早まり、雪の重量も合わさってああなってしまったと。

実際橋は無くとも見学には全く支障はありませんでしたが(^_^;)

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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