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高天神城② ~武田・徳川死闘の地~

だいぶ間が空いてしまいました。

それでは続きを・・・


念願の高天神城を手に入れ得意の絶頂にあった勝頼であったが、一方で就任以来信玄時代からの老臣の忠言を軽んじていたため、家中で軋轢が生じていたともいわれる。信玄に取り立てられた武田四名臣の一人高坂昌信は、高天神落城の宴の際に「これは主家滅亡の盃である」とこぼしたという。

こうした武田家の不和の中、勝頼は翌年長篠の戦いに臨み、織田・徳川連合軍に大敗を喫する。そして以降、武田家は転がり落ちるように滅亡への道をたどっていく。
(掛川市HPより)

勝頼に対する一般的な評価って、こんなものなのか・・・

なんか納得いかないぞ。


やる夫スレより、このころの勝頼の状況


そして天正3年(1575年)の長篠の合戦発生時期には、もはや浅井・朝倉も滅ぼされ
長島一向一揆も制圧、もはや近畿圏には本願寺以外、信長に対抗する勢力はなくなっていた。
             
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
            < 一乗谷城で朝倉義景討死!  |
             \____________/
                 ____
                 \    ───___
                 <             ̄ ̄ ̄ ̄|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
                 > _________     |   |  浅井長政、       |
                  ̄ ̄ | /       \ |    |   |  小谷城にて討死!  >
                     | /⌒ヽ  /⌒ヽ  |    |   |  近畿はほぼ全滅!   |
                     | | ‘ |  i ‘   |  |    |   \_________/
   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\    | ヽ.__ノ  ヽ._ ノ  .レ⌒ヽ
  < さっさと織田と戦え  |   ノ   o          6 |
   \________/  /__   \      _ノ
                       >        ノ
                      <、___   イ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
                          |───┤     | どうすんだよ     |
                        / |/ \ / \  |  何か指示しろよ  |
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     ヽ_  ______/
          < 将軍が早く上洛しろってよ  |       ∨
           \___________/


どうにもできん。



KDの城館探訪記

縄張図。十字架のような独特の縄張りです。(*出典:余湖図コレクション


登城時、この図をプリントアウトしたものをポケットに入れ城内を探索していたのでした。

この図を見ながら以下を読んでもらえば位置関係がつかみやすいと思います。


前回は駐車場から三の丸まで見ていきました。


いよいよ本丸を目指します。




KDの城館探訪記
本丸への登り道。

本丸の裏側は切り立った崖になっていて、危険なので立ち入り禁止。

KDの城館探訪記



KDの城館探訪記

本丸に向かう最後の登り。


この上は御前曲輪にあたるのですが、そこに待ち構えていたものは・・・





KDの城館探訪記
出た!


お約束過ぎて、最近逆に希少価値が出てきた「顔だしパネル」。


これは城主小笠原与八郎長忠とその奥方らしい。へ~、岡部さんじゃないんだ。


こういうものは放置されすぎてだんだん見るに堪えないほど破損していくものだが、この場所のものは比較的きれいなままであった。

ちなみに標柱の上には、先客の誰かの服が掛けられたまま忘れ去られていて、びしょ濡れになっていた。




KDの城館探訪記
その背後にあったコンクリの土台。


かつてここに模擬天守が建っていたが、落雷で焼失した。


無常だ。





KDの城館探訪記  

無残に倒れた表示が、この下が三の丸(与左衛門平)であることを示しています。


藪だらけですが、断崖の下に先ほどいた三の丸の東屋が見えました。





KDの城館探訪記  
顔だしパネルに隣接するようにある元天神社。




KDの城館探訪記  
ここの北側の断崖は、ちょっとすごいことになっていますよ。本当に断崖絶壁です。


岩肌から伸びる木のたくましさ。




KDの城館探訪記  

松幹化石というものなんだとか。





KDの城館探訪記  

本丸から御前曲輪方面を見て。


左手側が断崖絶壁です。こりゃ難攻不落なわけだ。





KDの城館探訪記  

城址碑。


とっても見にくい。





KDの城館探訪記  

ここが本丸。標柱裏の記載によると、天正2年当時は本曲輪と呼ばれていたと思われます。

周囲には部分的に土塁が残っています。


元亀2年3月武田信玄来攻に備えて、城主小笠原長忠2千騎を以って籠城、本丸には軍監大河内政局、武者奉行公渥美勝吉以下5百騎と遊軍170騎が詰めた。


天正2年5月武田勝頼当城包囲猛攻6月28日激戦、7月2日休戦、9日開城。城主長忠武田方に降り城兵東西に分散し退去、武田方武将横田尹松城番として1千騎を率いて入城した。

天正7年8月城兵交代、武田方猛将岡部丹波守真幸(元信)城代として1千騎を率いて入城した。


天正9年3月徳川家康来攻包囲10ヶ月、城中飢に瀕し22日夜半大将岡部真幸、軍監江間直盛以下残兵8百、二手に分かれて城外に総突し檄斗全滅した。23日家康検視、武者奉行孕石元秦誅せられた。城郭焼滅廃成となる。
(説明板より)





KDの城館探訪記  
本丸。雨が急に強くなってきた・・・


なお、この高天神城の攻防戦に最後まで援軍が送れなかった武田勝頼の声望が大きく低下し、翌年に木曾氏・保科氏など豪族が寝返っていく理由となったといわれ、『信長公記』でもことさらにそのあたりを強調する記述となっている。ただし、織田信長が籠城側の降伏を拒否するよう家康に指示した書簡が現在残っている。このことから、籠城側が既に早い時点で降伏の意思を家康に伝えていたにもかかわらず、籠城戦を長期化・劇的なものとすることで、援軍の出せない勝頼の声望を意図的に下げようとした信長の策略だったのではないかとの指摘がある。

(Wiki参照)


ついでにこちら も参照。Wikiよりよっぽど参考になる(笑)





KDの城館探訪記

少し待っていれば収まると思った雨足は、弱くなるどころか土砂降りの様相を呈してきてしまった。


あっという間に一面水溜りだらけ。これは厳しい!





KDの城館探訪記

このような探索困難な状況の中、この城の必見ポイントの一つである大河内政局石窟への入口表示を発見!

・・・したのだが。



立入禁止

危険につき、これより先は入らないでください。

掛川市教育委員会



何ですとぅ!?


危険も何も、この豪雨の中、山中で佇む今の状況が既に危険だわ。


・・・にょろ~ん





KDの城館探訪記

・・・ということで、自己責任で進む。


本丸の下を迂回する形で細い道が伸びており、崖に囲まれた一番の奥地に、それはあった。





KDの城館探訪記

大河内幽閉の石風呂(石窟)


天正2年6月武田勝頼来政包囲、28日激戦酣となった。城主小笠原長忠遂に叶わず武田方に降り城兵東西に離散退去したが軍監大河内源三郎政局独り留まり勝頼の命に服さず勝頼怒って政局を幽閉した。武田方城番横田尹松政局の義に感じ密かに厚く持て成した。


天正9年3月徳川家康城奪還23日入城し、城南検視の際牢内の政局を救出した。足掛8ヶ年、節を全うしたが歩行困難であった。家康過分の恩賞を与え労をねぎらい津島の温泉にて療養せしめた。政局無為にして在牢是武士道の穢れと思い剃髪して皆空と称した。後年家康に召されて長久手に戦い討死した。
(説明板より)


シートが被さっているあたり、斜面の崩落でもあったのでしょうか。確かに危険かもしれません。

よい子の皆は安全が確認できるまでマネしちゃダメですよ。


中を覗いてみましたが、岩と土だけの何もない牢です。

こんなところに閉じ込められたら、冬場に凍死は必至といえそう。


城番の横田尹松が密かに厚くもてなしたとあるので、衣食や牢内の環境などそれなりに配慮されていたと思われますが(そうでなければとても生存できない)、それでも8年間も閉じ込められていたら歩行困難になるのも当然といえます。


それにしても、囚われの身で8年間・・・大河内政局の精神力、驚愕です。

そしてこの捕虜を、城兵皆玉砕して落城する際までも殺さずに留めておいた武田軍も流石。





KDの城館探訪記

戻って、的場曲輪。


本丸下の帯郭の役割を果たしています。





KDの城館探訪記

二段ほどある腰郭を降り、尾根へ出ます。


ここまでが城の主郭部分ですが、この城の見どころは、西側の峰にまだ続々とあるのです。





KDの城館探訪記
尾根上の道を進みます。奥が高天神社がある西の峰。

鞍部へ向かいわずかに下り道です。

雨はますます酷いことに。





KDの城館探訪記  
搦め手からの道が続いている尾根上の鞍部。


まともに写真を撮ることさえ困難になってきた。




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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
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