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高天神城① ~遠州を制する城~

高天神を制するものは遠州を制す


の言葉であまりにも有名な高天神城


この日に登城したお城の中でも、諏訪原城と並び特に強烈な印象を受けたところです。

できれば旅行記のように順番に紹介していきたいところですが、ほかの未紹介物件をこなしてからだと記事にするのが2年くらい後になりかねず、辛抱たまらんので先行掲載。


まずは例によってWikiから。


高天神城(たかてんじんじょう)は、遠江国城東郡土方(現在の静岡県掛川市上土方・下土方)にあった城。

小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。国の史跡に指定されている。


戦国好き、特に武田家に興味のある人にとっては、新府城高遠城岩櫃城らと並んで是非とも訪れておきたいお城です。

ちなみに今回雨の中の登城となったので、不鮮明な画像が多くなってしまった事をご了承ください。



KDの城館探訪記

まずは遠景。正面の山が高天神城です。

市販されているほとんどの道路マップに位置が記されているので、その場所を目指せばOK。

逆に、車でないと辿り着くのが相当困難な立地だと思います。

Wikiでは何を持って小規模としているのかわかりませんが、確かに比高差はそれほどないものの、実際歩きまわった印象ではかなり大規模な要塞と感じました。




KDの城館探訪記
r38沿いにあるどでかい看板。

城の位置は遠目からでもわかるのですが、周囲の道が微妙に曲がりくねっていたりするので、こういった案内が表示されているところから近づくのが安全でしょう。




KDの城館探訪記

駐車場に到着。無料です。

現地看板によると、この城には北側と南側の二ヶ所に駐車場があるようです。

追手口にあたるこちら側は南口の駐車場。

奥に見える山は、高天神社のある西の丸にあたります。




KDの城館探訪記
ちなみにこんなトイレもあります。




KDの城館探訪記

当時の想像鳥瞰図。

何とも急峻で、独特な縄張りです。

分類的には「一城別郭」に該当するのでしょうか。

これは攻めにくそうだ・・・


遠江・駿河の今川氏追放に端を発した徳川と武田の抗争は、その後家康が越後の上杉謙信と同盟関係を結び甲斐の武田信玄を挟む形に至り、信玄を大いに刺激した。


1571年、遠江への侵攻を本格的に開始した信玄は、「高天神を制する者は遠江を制する」と言われた徳川方の高天神城をものにすべく攻め入る。しかしながら、天嶮の要害に築かれた堅城であった高天神を落とすことはできず、信玄は早々に兵を引く。

その後、信玄は三方ヶ原の戦いで徳川軍を粉砕するなど勢力を拡大するものの、1573年に志半ばで病死する。武田家は信玄の子、勝頼が後を継ぐ。

信玄は「3年間自分の死を秘せ」という遺言を残したとされるが、勝頼はこれを破り、1574年2万の大軍を率いて再び高天神城に侵攻する。勝頼としては、名将と謳われた父信玄でも落とせなかった高天神城を落とすことで、その武名を全国に轟かせたかったに違いない。城主小笠原長忠は家康に援軍を要請するが、家康は単独での行軍は無理と判断し、同盟国の織田信長に援軍を請う。しかし信長は動かず、1ヶ月後長忠は武田軍に城を明け渡し、武田側に降りた。

(掛川市HPより)


これが第一次高天神城の戦いと言われるものです。




KDの城館探訪記

鳥居をくぐって、いざ入城。

入口には登城用の杖がありますが、傘を片手にしている現状では杖の装備はできない・・・

(デジカメ操作や縄張図の確認で空きが必要)




KDの城館探訪記

登城路には幟がありますが、何故かすべて反対の崖側を向いている・・・




KDの城館探訪記

雨が降っていなかったとしても、木々に囲まれているため「昼なお暗き・・・」といった感じの登城路です。




KDの城館探訪記
目の前に現れた大樹。

光量不足でぶれていますが、「高天神追手門跡スギ」とあります。

フラッシュを焚けばいいのですが、自分の旧式デジカメでは一度フラッシュを焚くと急激に電池残量が減るので(笑)、よっぽどのことがない限り禁じ手となっております。




KDの城館探訪記

引いて見るとこんな感じ。




KDの城館探訪記

追手(大手)門跡。


元亀2年3月
武田信玄2万5千騎を率いて来攻、城門を襲ったが難攻不落と見て包囲を解いて退却した。

天正2年5月
武田勝頼2万騎を以って来攻包囲猛攻、6月18日武田勢内藤昌豊、山県昌景の精兵城門に突入、城兵必死の防戦、大石久未、川田真勝以下城兵死傷75名、武田勢死傷253名に及んだ。


天正8年10月
徳川家康1万騎を以って当城包囲猛攻、23日本多忠勝城門に迫ったが部下袴田源左ヱ門城兵と戦い討死した。

天正9年3月22日
夜半城兵総突出に際し、徳川方武将松平康忠城門を破って突入し、追手門櫓門を焼き落した。


錚々たる面々だ・・・




KDの城館探訪記  
追手門があった場所はこのように屈曲していて、いかにも守るに堅そうな地形です。




KDの城館探訪記

追手門のすぐ上、着到櫓跡。

どのような櫓が建っていたのでしょうか。



KDの城館探訪記

わかれ道。

正面を登っていくと三の丸・本丸方面。

左の道を進むと二の丸・高天神社・馬場平方面。

まずは三の丸を目指すことに。




KDの城館探訪記

坂を登り切り、表示の通りに進む。




KDの城館探訪記
三の丸跡。休憩小屋もあります。

この小屋の中に、三の丸の説明板があります(見落とすところだった)。


それによるとここは城内の武将が宿営する場所で、武田勢が来攻当時に小笠原与左衛門清有が守備したことから与左衛門平ともいうとのこと。




KDの城館探訪記

かわやで ござる



KDの城館探訪記
この郭は周囲を土塁で取り囲まれています。

それほど高くはありませんが、明瞭に残っています。




KDの城館探訪記  
土塁があれば、雨が降っていようとも登らないわけにはいかない。

土塁の外は断崖なのでかなり危なし。




KDの城館探訪記

眺めは素晴らしいですなあ。面白い形の山が印象的。

かすかに遠州灘まで見渡せた。天気が良ければはっきり見えるだろうな。


・・・この時はまだ雨が小振りだったので、景色を撮る余裕があった・・・




KDの城館探訪記

○今川

なんぞこれ?




その②へ



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コメント

1. 金ヶ崎に続いて


これまた激戦の地となった高天神城ですな!

追手門の説明板。
確かに錚々たる顔ぶれですね。
さすがは、武田と徳川が戦っただけある城。

続編、楽しみにしています(^0^)

2. Re:金ヶ崎に続いて


>syunpatsuryoku1号さん

名前は知られているけど、意外と実態は知られていないお城シリーズとでもいいましょうか(笑)

このお城も見どころいっぱいです。
しかし、このあと天気が急変?
続きは次回で(°д°;)

これがあの名高い高天神城ですかー。今読んでる伊東潤さんの小説武田家滅亡に頻繁に出てくるので、近いうちに浜松城と合わせて行こうと思っておりました。晴れるといいなあ

Re: タイトルなし

> ゆかさま

こんにちは。小説の舞台になっている城巡り、自分も好きです。
単に遺構だけを見るよりも断然雰囲気を楽しめます。
この記事にあるとおり雨天の登城は厳しいので、天気をチェックしてから訪れてくださいね。

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
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