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江戸城① ~大手門・百人番所~

江戸城には2008年の夏と、先日のWEPの旅の2度登城しています。


それ以前にも北の丸や皇居外苑には何度か足を踏み入れているのですが、2007年以前の記録はすべてリセットしているので対象外。


今回紫文字こちらのページの記述を参照させていただきました(修正あり)。



まずは08年の登城記から。


出張の機会を利用した登城なので、珍しく電車利用。

暑いし荷物は重いしで、結構大変。




KDの城館探訪記

東京メトロ大手町駅からスタート。


「都旧跡 将門塚」の表示があります。

ちょっと立ち寄りますよ。




 
KDの城館探訪記

首塚の由来記があります。


今を去ること1000年以上の昔 桓武天皇五代の皇胤鎮守府将軍良将の子 将門は、下総国に兵を起こし怱ちにして坂東八ヶ国を平定、自ら新皇と称して政治の革新を図ったが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ馬上陣頭に戦って憤死した。享年三十八歳であった。世にこれを天慶の乱という。将門の首級は京都に送られ、獄門に架けられたが三日後白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったという。

村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これ即ちこの場所であり将門の首塚と語り伝えられている。
その後もしばしば将門の首塚の怨霊が災をなすため、徳冶二年時宗二祖真教上人は将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し塚前に板石塔婆を建て、日輪寺に供養しさらに傍の神田明神に、その霊を合わせ祀ったので漸く将門の霊魂も鎮まりこの地の守護神になったという。

現在もビルとビルの間にあり、この辺りを開発をしようと首塚を取り払い移転を計画する責任者が次々急死を遂げたり不吉な事が起きる。



ここは酒井家上屋敷跡でもあります。


江戸時代の寛文年間この地は酒井家雅楽頭の上屋敷の中庭であり、歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達騒動の終末伊達安芸・原田甲斐の暗殺されたところである。



Wikiによる将門塚の歴史


この地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれた。住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。諸国を遊行回国中であった遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗(じしゅう)芝崎道場に改宗したという。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきた。その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられるが、今なお神田明神とともに首塚を護持している。時宗における怨霊済度の好例である。

首塚そのものは関東大震災によって倒壊した。その後周辺跡地に大蔵省が建てられることとなり、石室など首塚の大規模な発掘調査が行われた。その後庁舎が建てられるが、工事関係者や大蔵省職員の相次ぐ不審死が起こり、将門の祟りが省内で噂されることとなる。省内の動揺を抑えるため昭和2年(1926年)に将門鎮魂碑が建立され、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われる。この将門鎮魂碑には日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本された。

この地は東京駅に近く皇居の間近に位置するため、周辺にはオフィスビルが林立しているが、この一角だけはそれほど広い敷地ではないにもかかわらず鬱蒼とした木が茂り、現在でも一種異様な雰囲気を醸し出している。敷地内には、蛙(ガマガエル)の置物が数多く石碑の周囲に置かれている(後述)。そして、線香の匂いが絶えることがなく物静かで、そこに表通りの車の音がする場所である。

数十年にわたり地元のボランティア団体が浄財を元に周辺の清掃、整備を行っているが、その資金の預金先として、隣接する三菱東京UFJ銀行に「平将門」名義で口座が開かれていた。





KDの城館探訪記

首塚の碑。


築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来たのも頷けるものがある。そのことを最も象徴的に表すのが、第二次世界大戦後に、GHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとしたとき、不審な事故が相次いだため、結局、造成計画を取り止めたという事件である。

結果、首塚は戦後も残ることとなり、今日まで、そのひと気のない様に反し、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示している。近隣の企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、聖域として守られている。その一方、一部のオカルトファンに心霊スポットとみられる風潮もある。

隣接するビルは塚を見下ろすことのないよう窓は設けていないとか、それらのビルでは塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っているといったことが話題に上ることがあるが、これらは都市伝説の類である。

お笑い芸人の太田光(爆笑問題)はブレイク前、この首塚にドロップキックをしたことがあり、その後しばらくの間まったく仕事が舞い込んでこなかった時期があったとのこと。



カエルの置物もあります。


首塚の境内には所狭しと多数の蛙の置物が奉納されている。将門の首が京から飛んで「帰った」ことから、必ず「帰る=カエル」にひっかけ、伝承で次の二つの利益があるとされている。

1. 左遷になった会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、蛙を供える。

2. 誘拐されたり、行方不明になった子供が無事帰ってこられるように、蛙を供える。


(共にWiki参照)





KDの城館探訪記

大手門。


警備している人がいるので入っていいのかどうか少し躊躇しますが、誰でも中に入ることができます。


無料というのがまた素晴らしい!



大手門とは城の正面のこと。裏側は搦手(からめて)という。正面玄関なので大手門である。
旧江戸城の正門。諸大名はこの門から登城した。かつて門前には大手門橋がかけられていたが、大正年間に埋め立てられた。





KDの城館探訪記

大手門手前から、南側の桔梗濠。


白鳥が優雅に泳いでいます。


あれ?今真夏だぞ。本当に白鳥?

ハクチョウに変装したアヒルだったりして。





KDの城館探訪記  
大手の高麗門をくぐると桝形空間。先には堅固な渡櫓門が待ち受けます。



高麗門を入ると、四角に囲われた桝形と呼ばれる広場があり、右奥に重厚な渡櫓門がある。高い渡櫓門と桝形の構造は安土桃山時代になって発達した城門の型式である。
桝形には、城の内側に構えた内桝形と外側に構えた外桝形があり、大手門は外枡形である。このような右折枡形門としたのは、攻め込んできた敵を陥れる罠である。 高麗門を破って敵軍が桝形に侵入しても、渡櫓門をしっかり閉じてしまえば敵は行き場を失う。 そうとは知らない軍勢が後から押しかけると、先頭の敵軍は大混乱し、そこを渡櫓や石垣の上から狙い撃ちするという仕組みである。
江戸城大手門を外桝形としたのは、東北の雄伊達政宗らで、政宗は自ら大手門の工事を買って出たといわれる。 大手門の警固は、十万石以上の譜代大名が受け持ち、『徳川盛世録巻之二』によると、鉄砲30丁、弓10張、持弓2組、持筒2丁、長柄槍20筋が常備されていた。

また、初期の江戸城大手門は、本丸のすぐ下(現在の同心番所のあたり)にあり、警備は甲賀者がしていたといわれる。

白壁の城壁の内側には、狭間(銃眼)に上る七段の狭い石階段が取り付けられているのが目を引く。





KDの城館探訪記

桝形の隅にある鯱。


1945年4月、戦災で焼失していた旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱。明暦の大火(1657)で焼失した後、再建された際に制作されたものと推定される。





KDの城館探訪記
後ろを見ると団体客が。

先を急ごう。



渡櫓の先には東御苑管理事務所があり、そこで入城券のようなものを受け取ります。

この券は退出する時に返却する仕組みです。

正規のルート以外からの入退出を監視する意味合いがあるのでしょうね。

もっとも、警備が厳重なので正規のルート以外の侵入は不可能ですが。

(いつもなら冗談で通報されるレベルとか書いたりしますが、ここでは即現行犯逮捕です)



発券所を過ぎると三の丸尚蔵館があります。入館無料なので、ぜひ見学しましょう。

自分もここで展示を眺めながら涼ませてもらいました。


三の丸尚蔵館は、昭和天皇陛下と香淳皇后陛下が、代々皇室に受け継がれてきた絵画・書・工芸品などの美術品類6,000点余を国にご寄付されたのを機に、これらの美術品を大切に保管管理するとともに、調査、研究を行い、展示により一般公開することなどを目的として平成四年(1992)に建設された。
なお、平成八年(1996)、故秩父宮妃から寄贈された美術品のうち900点余が、新たに収蔵品として加えられた。さらに平成13年には香淳皇后のご遺品が国に寄贈されたのを受けて、現在は約8千点の作品を収蔵している。
平成5年11月3日から行事等に支障のない限り一般に展示公開されている。





KDの城館探訪記

三の丸尚蔵館の反対側、写真の建物の中から気合の掛け声が聞こえてきました。

武道の鍛錬をしているものと思われます。


この奥は皇宮警察本部になっています。


皇宮警察本部は、日本の象徴である天皇陛下をはじめ、皇族各殿下の護衛や皇居、御所、御用邸などの警備を専門に行う警察であり、皇宮警察本部の職員は、皇宮護衛官、警察庁事務官及び警察庁技官で構成され、身分はいずれも国が採用する国家公務員である。
皇宮警察は、明治19年(1886年) 5月、宮内省に皇宮警察署として誕生したが、その後、幾多の組織的な変遷を経て、昭和29年新警察法制定に伴い警察庁の附属機関となり、名称も「皇宮警察本部」と改称されて現在に至っている。
創立以来、皇室の守護を目的とした国家機関として、大きな使命と輝かしい伝統を持った組織である。



また、尚蔵館の隣には休憩所があります。自分はここで東御苑内のパンフを入手しました。

地図がないと探索が困難!





KDの城館探訪記

巨石を用いた石垣。


外国人観光客も多い。





KDの城館探訪記

同心番所。


大手三の丸(大手下乗門)を警備する与力、同心が詰めていた。ここを駕籠や馬に乗ったまま通ることが出来るのは、尾張・紀伊・水戸の御三家だけで、それ以外の大名は駕籠や馬から降ろされ、検問をうけた。お共はここで主人の帰りを待っていて、いろんな情報の交換もしていたという。このことは「下馬評」の語源になった。
同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人の総称である。身分は御家人で、形式上は一代限りの勤務だった。
番所の屋根瓦の一番高い所に徳川家の「葵御紋」の妻瓦、一番手前の軒端の瓦に天皇家「菊御紋」があり、歴史の変遷を物語っている。軒先は普通の「三巴紋」のかわらである。





KDの城館探訪記

しかし広いな~


ゴミなんか全くなし。キレイ。





KDの城館探訪記

百人番所。


大手三の門の上の護り。江戸城本丸御殿の最後の固めで、最大の検問所として睨みを利かせていた。
鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎馬の四組が交代で詰めていた。各組とも与力20人、同心100人が配属され、昼夜を問わず警備に当たっていた。
南北50メートルほどの長大な番所の建物の屋根瓦は、昭和三十年代に修復されたが、それ以前はヒメムカシヨモビなどが生え、それなりの風情があったといわれる。

番所の前は、むき出しの石垣が連なって石の殿堂の趣きだが、昔は櫓や多門がびっしりと建ち並んでいたので、いま見る風景よりも、はるかに威圧感があったと思われる。





KDの城館探訪記

大手中之門跡。


江戸城へ登城するには、大手門、大手三之門、大手中之門、書院門(中雀門)の四つの門を通らなければならなかった。大手中之門は三番目の門であり、門前に百人番所、門内には大番所があって警備は特に注意を払われたという。 石垣の大きさも見てもその重大さが分かる。
元禄十六年の大地震で被害を受け、大掛かりな修復も行われている。門は明治政府によって撤廃されてしまった。その後も数回の地震などで石垣のずれが出てきたため、現在は修復工事が行われている。修復工事中に石垣の裏に刻銘などが刻まれたものが見つかり、元禄十六年にこの門を修復した大名の刻印も見つかっている。





KDの城館探訪記
中之門の巨大な石垣の先に、またも番所があります。

ここは「大番所」。


「番所」とは警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の三つが残っている。大手中之門の内側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていた。江戸城本丸へは最後の番所であった。
この番所は当時のままで保存されている。大名や旗本であってもここからは乗り物から降りて歩いて登城しなければならなかった。ここからは上り坂道になり坂の途中に最後の門の書院門(中雀門)がある。




その②~富士見櫓・天守台~へ


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コメント

1. 巨大


ですよね。
さすが、天下の江戸城。

私が行った時は残念ながら雨だったので、足早に廻った為、見たい所が見えませんでした。

KDさんのブログで次行く機会があるでしょうから(多分)参考にさせて頂きます。

2. Re:巨大


>syunpatsuryoku1号さん

コメントありがとうございます。復活されて何よりですo(^-^)o

歩く距離がかなりあるので、雨だと大変ですよね。ちなみに自分もこの時は暑くてバテました。

事前に見学ポイントをある程度絞っておかないと、城内を彷徨うことになってしまいそうです。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
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