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江戸城② ~富士見櫓・天守台~

記事消滅にもめげず、続きを作成。


大番所の先は、緩やかな登りになっています。

こういったところを実際歩いてみると、江戸城が平城でなく平山城であると実感できます。




KDの城館探訪記

クランクしている緩やかな登り坂の先にあるのは、書院門跡です。


別名:中雀門ともいわれていた。左上の石垣には重箱櫓と書院二重櫓があり、本丸に上がる人びとを圧倒した。 昔は坂下に二の門があり、現在はスロープになっている坂道は石の階段であった。上り坂を囲む石垣は見事すぎるほどの切石積みとなっている。
坂を右に曲がると中雀門跡がある。足下には3対の門柱の石があり、それぞれの石には丸と角の二つの穴がある。両側の石垣はポロポロで、稲妻状の裂け目、円形の割れ目、あるいは人面に変形し、しかも真っ黒に焼けている。文久三年(1863)、本丸御殿が焼けたときに類焼した痕と考えられ、150年近く経過した今も火災の凄まじさを物語っている。
本丸地区は五回の羅災にあい、そのつど復旧されたが、文久三年の火災以降は再建されなかった。


本丸御殿に行くには、大名であってもこの門を歩いて通りました。



坂を登り切ると、本丸に入ります。

天守台に行く前に、地図に記載されている富士見櫓を探してみます。

本丸の南の隅に位置しています。





KDの城館探訪記
発見。柵で阻まれているため、ここまで。


想像していたものよりシンプルな外観です。

富士見櫓は、江戸城本丸では現存する随一の櫓で、遺構の中では最も古い時期に建築され、関東大震災で倒壊、大破したが、その後、主要部材に旧来の材料を用いて再建されている。
総白漆喰の大壁・長押型を二条に塗りだし、石垣と濠に面した外壁の中央に洋洋な形式の「張出」をつけ、「石落とし」を兼ねた三重櫓は、どこから見ても同じに見えることから「八方正面の櫓」ち呼ばれる立派なものである。
それ故、焼失した天守閣の再建が断念された後、天守閣の代わりとして使用されたこともある。
富士見櫓は柵でへたてられいるが、櫓の向こうの空は広く、ビル群も見えず、高い所にあるのが伝わってくる。


ちなみに反対側から見ると、このような光景になります。

(Wikiより)↓



ファイル:Fujimiyagura edojyo.JPG

富士見櫓の石垣は「切り込みハギ」で高く積み上げられており、石垣の高さは約14.5m、櫓の高さは約15.5mになります。櫓といえども並の天守と同等以上の規模を誇っています。



実はこちら側からの眺めは、通常見ることができません。皇居内の立ち入り制限区域になっているためです。


しかし見るのが不可能というわけではなく、宮内庁に事前に参観を申請すれば見学可能です。土日祝日は受け付けていないので自分には少し厳しいですが・・・


また、天皇誕生日と新年の年2回は、申請も不要で一般参賀が可能です。

この日は皇室の方々の姿も拝見することができるようです。ただものすごく混雑するらしい・・・


楽しみはできるだけとっておきたいタイプなのですが、突発的に参観を申し込むかもしれません。

その時はまたレポートします。





KDの城館探訪記

浅野殿 殿中でござる 殿中でござるぞ


で知られる松の廊下跡。


本丸御殿そのものが残ってないので、現在は碑と説明板があるのみです。

先日もちょうど忠臣蔵がテレビ放送されていました(田村正和演じる大石内蔵助)。

本丸御殿大広間から白書院に通ずる「松の廊下」があった、今は標石だけが残っている。
元禄十四年(1701)浅野内匠頭長短が吉良上野介に刃傷事件をおこしたところで、この事件は、豊島刑部少輔(信満)が寛永五年(1628)八月、老中井上主計頭(正就)を切ったのと、佐野善左衛門が天明四年(1784)三月、若年寄田沼意知を刺した事件とともに、江戸城三大刃傷事件のひとつに数えられている。
松の廊下は畳廊下で本丸の東南に位置し、本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約19m、北へ約31m、幅は約5mであったと伝えられている。
障壁画に「松」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれ、後の弘化度の本丸御殿では、松に群れ飛ぶ千鳥の障壁画が、大廊下を飾っていた。


ちなみに東御苑に入る主要な門の一つである平川門に、現在でも通用門の横にもう一つの高麗門が設けられています。これが別名「不浄門」と呼ばれる門で、城内の死者や罪人を城外へ運び出す門になっています。

浅野内匠頭も一関藩主田村邸へお預けになる際、この門から城外へ出されました。



墨田区両国の江戸東京博物館に模型などが展示されています。


ねこへび


このあたりの本丸の西側は土塁状に高くなっていて、茶畑?になっています。

上にあがってみると、林の中に石碑があります。


本丸の西側にある茶畑を上がると、鬱蒼とした林の中に「御休憩所前多門」と刻まれた石標がある。
御休憩所とは、本丸中奥にある将軍の私的は居間のことで、中奥は将軍が政務を執ったり、日常生活をする場である。 老中などとの面会には、御座之間が使用された。





KDの城館探訪記
その隣にある、富士見多聞。


多聞は、防衛と装飾を兼ねた長屋造りの櫓の一種で武器庫である。中には鉄砲や弓矢が納められていた。江戸城本丸には15棟の多聞があったが、富士見多聞は、その中の随一の遺構である。
蓮池濠から富士見多聞までの石垣は、高さが約20mにもなる長大な石垣で、実戦的だったといわれる。東・南・西の三面いずれも激しく屈折する。石垣下と石垣塁壁に取り着いた敵を攻撃する際、死角をなくすための工夫だ。


正直なところ、内側の本丸側からみるとなんだかぱっとしません。

しかし、外側の蓮池濠から見ると折れを伴った石垣の上に多聞櫓がそびえ、素晴らしい景観なんだそうな。

そちら側も通常は立ち入り禁止区域になっています。内部に入る機会があったら必見ポイントの一つ。





KDの城館探訪記
さらに隣にある石室。


石室と聞くと、自分などは古墳を連想するのですが、こんなところにあるわけないしなあ。


富士見多門の北側に、蓮池濠を背にした立ち木の陰のひっそりしたところに石室がある。
江戸城の遺構の中では比較的小さなもので、表の石組には焼けたような痕があり、多少ずれている。
入り口には扉を取り付けた穴がある。暗い内部は20㎡ほどの広さがあり、伊豆半島産の安山岩(伊豆石)の切石で、隙間もないほどキッチリと壁が造られている。
江戸城の抜け穴とか、御金蔵という説もあるが、大奥御主殿、御納戸の脇という場所柄から、非常時の大奥の調度品や文書類など、貴重品を納めた富士見御宝蔵の跡と考えられる。





KDの城館探訪記  
本丸。ただただ広い。

約4万坪あります。


現在は都心とは思えない広大な芝生広場になっていますが、かつてはこの場所に所狭しと本丸御殿が立ち並んでいました。


今立っているところは大奥の辺りかな。





KDの城館探訪記
そしてこれ、ついにやってきました。天守台です。

と言っても、かなり手前からこの姿は見えていましたが(笑)


江戸城本丸の一番北側に位置しています。江戸城の天守は、慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であったともいえます。
慶長の天守は、現在より南の富士見多聞のあたりに位置していたと考えられます。5層の天守の高さは、国会議事堂とほぼ同じくらいだったといわれています。

元和・寛永の天守は、現在の天守台とほぼ同じ位置にありました。
元和の天守は元和8年(1622)、2代将軍秀忠の本丸改造の際、慶長の天守を撤去して新しく建てたもので、翌9年に完成し、高さは慶長の天守を上回っていたといわれています。
寛永の天守は、寛永15年(1638)、3代将軍家光のとき、元和の天守台(現存の天守台)に建てたもので、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。
この寛永の天守は、明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、四代将軍綱吉の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っています。

江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのでした。

なお、明治15年(1882)当時の気象台が天守台に設けられ各種の観測が行われていました。

(ここだけ千代田区観光協会のHP参照)





KDの城館探訪記

まあ、巨大なこと。





KDの城館探訪記
隣に見える印象的な建物は「桃華楽堂」。

モザイクタイルが美しい。


昭和四十一年(1966)、香淳皇后の還暦を祝いして建設された音楽堂。
桃は香淳皇后の御誕生月が3月なので桃の節句と、お印の「桃」にちなみ、また華は「十」が6個と「一」で構成されていることから、還暦(数えて61歳)の意味を込めて「桃華楽堂」と命名された。
設計は、長崎二十六聖人記念館や穂高碌山美術館を手がけた、故今井兼次氏が担当した。
屋根はテッセンの花を模したもので外壁は八角。各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・楽の音・松竹梅をあしらったモザイク・タイル面で飾られている。なお玄関の屋根の上には、金色のお雛様が一対飾られている。全体として、日本女性の優雅でおおらかな理想像をあらわしているという。




KDの城館探訪記
天守台の上から、北側の眺め。

眼下の門は北桔梗門。

奥には北の丸にある日本武道館のタマネギ屋根が見えます。





KDの城館探訪記

しかしこの石垣、アホなほど大きいですな。


普通の城壁としてもかなり大きい部類に入りそうなものですが、これが単独の天守台とは。





KDの城館探訪記
これだけ巨大な天守台なら、日本史上最大の天守が聳えていたことにも頷けます。


奥にいる人が豆粒みたいになっていますよ。


なんか笑えてくるほどです。





KDの城館探訪記
先ほどの「桃華楽堂」の壁面。


芸術です。




その③~汐見坂・二の丸庭園~へ


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コメント

1. 天守台の


巨大さには本当に驚きました。
カメラのフレームにいれるのに、だいぶ下がって撮ったのを覚えています。

富士見櫓、裏からではなく表から撮ってみたいのですが、なかなか機会がないだろうなぁ~(>_<)

2. Re:天守台の


>syunpatsuryoku1号さん

自分もだいぶ下がって撮影したのですが、頑張っても一面しか撮影できませんでした。

富士見櫓と富士見多聞を表側から取ることを目的に、次の登城を楽しみにしています(できるだけ先延ばしにして)。
自分は通常は同じ城に何度も行くより、マイナーでも未訪の城に行く方を優先させるのですが、
こういった事情だと再訪せざるを得ません(^▽^;)

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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