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役原城 ~尻高氏の隠居城~

越後坂戸城などを攻城した日、高山村で攻略漏れの城があることが気になっていたので、帰りに立ち寄ることにしました。


場所については説明困難なので「群馬県文化財情報システム」の地図を参照のこと。


で、地図を参考にそれらしき場所に接近。

お寺だか公園だかの手前を右に曲がり、ちょっと進むと↓発見!




KDの城館探訪記

役原城の本丸があった跡地。役原城の初代城主は、白井城主長尾景春の三男で長尾重儀といい、後に古屋に尻高城を築城し、尻高左馬頭重儀と改めた。
息子に尻高城主を譲ったあとは、役原城に隠居した。時に、明応年間(1492~1501)で、北条早雲が小田原城に入った頃である。

(説明板より)



尻高城の説明板には重儀の父は長尾重国となっていますが、こちらでは長尾景春が父ということになっていますね・・・ちょっと調べた限りでは、同一人物ということでもなさそうですし・・・



まあ、


             /)
           ///)
          /,.=゛''"/   こまけぇことはいいんだよ!!
   /     i f ,.r='"-‐'つ____ 
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゛フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /



*追記:長尾景春=伊玄入道=重国ということで、同一人物のようです。



ちなみに長尾景春というと、北条早雲と並ぶ関東における下克上の雄です。

詳細はこちら



遺構については、土地の区画の形状が当時の郭の名残を感じさせるものでしたが、明確なものは判別つきませんでした。





KDの城館探訪記
城跡の入り口にあった看板。


「先人の 祈り伝えし 役原獅子」とあります。


役原獅子の起源は、室町時代に尻高氏が役原に城を築き、付近一帯を支配したとき、常に崇敬している信州の諏訪神社の御加護と考え、諏訪神社を建立し、その祭典に遠州流獅子舞をまねいて住民に伝えたのが今に伝わる獅子舞です。今の獅子頭は徳川末期の弘化3年(1846年)につくられたものです。

~以下略
(高山村HP参照)




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所在:群馬県吾妻郡高山村大字尻高 

評価:


このようなマイナーな城にまで、きちんとした城址碑と説明板を設置してくれています。標柱マニアの自分としてはこんなにうれしいことはありません。高山村の史跡に対する考え方の深さを感じることができました。

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コメント

1. 長尾景春


という人物を初めて知りました。
ほりゃ、我が伊予の人物でも知らない人がいる位ですから、上野の国で知らない人物は五万といてるでしょうね。

2. Re:長尾景春


>syunpatsuryoku1号さん

関東戦国史を語る上では享徳の乱と長享の乱は避けては通れません。
が、自分もそんなに詳しくないです。
戦国好きの人でもこのあたりのことを深く知っている人は少ない印象を受けます。
やはりノブヤボに一切登場しないからか・・・

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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