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観音寺城⑤ ~巨大山城の弱点~

正面に標柱発見。



KDの城館探訪記

伝 落合氏屋敷跡」とあります。


一般に落合丸と呼ばれているところです。




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落合丸土塁上から奥へ進みます。


軽い段差がいくつかあります。




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主要な郭の、一番先端部分に来ました。

ここも周囲は大規模な石垣に囲まれています。


虎口から外に出てみましたが、結構な急斜面です。




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中央部にある、何かの遺構。




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ここが「伝 池田氏屋敷跡」、池田丸です。


本丸と同等の広さを誇り、城内最大規模の郭です。ミッションクリア。




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池田丸虎口。ここから下へ、登城路が続いています。


郭の配置から考えるとこの登城路が大手道で、池田丸・落合丸・平井丸・三の丸といった各郭を経由して大手口石段へと繋がるのかもしれません。




KDの城館探訪記

池田丸から戻る途中、道の中央に石が積み上げられていました。


賽の河原ですか?




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このお城の紹介によく用いられる場所。


落合丸から写した平井丸虎口です。




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平井丸伝 平井氏屋敷跡」とあります


これにてすべてのミッションコンプリート。やった~。




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内部には写真のような石垣が断片的にあります。

いまいち石垣の配置の形状がつかみにくいです。


虎口から奥に進むと、本丸への城塁にぶち当たります。そこからは登れません。(不可能ではないかもだが・・・)

虎口に入ってから右手に進むと、本丸への道が続いています。




KDの城館探訪記

本城(本丸)。碑や説明板あり。


このあたりは軽めの散策をして、観音正寺へ戻ります。




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暑かった~のど乾いた~


観音正寺にて、水飲み場発見。


掲げられていた文字は


「水は命 この慈悲の霊水 感謝して飲むべし」


だったかな?


感謝して飲みましたよ~ゴクゴクと。まさに命の水。生き返りました。


山の水はどんなにきれいそうに見えても生水は危険なのですが、ここはきちんと検査済みの水なので大丈夫です。




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参道を戻る。行きは通っていない場所。


「ねずみ岩」という巨石。この上に登っていくと佐々木城跡の碑。




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権現見付の石垣虎口。

このあたりも、山側の上を見上げると石垣が立ち並んでいます。




KDの城館探訪記
こんなところもありました。


パンダ



これほどの超巨大山城である観音寺城ですが、歴史上何度も陥落しています。

この点について少し考察してみます。


一般に山全体を無数の郭で守っているというとものすごく堅牢そうに感じますが、無数の郭があるということは、逆に言うと一つ一つの郭の規模は小さく、それぞれ少人数の兵しか入れないということになります。情報伝達の問題もあり、小さな郭に少人数の兵が分散すると組織的な防御が困難になります(それ以前に、それぞれの郭に兵を配置できるほどの十分な兵力を集められるかという問題もありますが)。


小さい段差より大きい段差、少人数の防御よりまとまった数での防御、のほうが効果的であるというのは言うまでもありません。よって城郭は時代が進むにつれ、小さな郭から、それぞれを統合した形の大きな郭を形成していくようになります。いわゆるスケールメリットってやつです。


そして防御に最も適するように郭の形状やその配置といったものを考えます。

築城家が最も知恵を絞るこの部分こそ、城郭の生命線である「縄張り」の観念なのです。


観音寺城はこの縄張りの観点からは、あまり技巧的なものではありません。山の斜面一面にずらずらっと郭を並べていますが、配置に心血を注いでいるというものでは全くないので、見た目ほど防御は堅くないのです。

(技巧的な縄張りってどういうもの?という方のために、一例として玄蕃尾城を挙げます)



上記の内容について、wikiより抜粋。


・・・このため規模こそ日本国内で屈指のものであるが、防備のための城というよりも、権威づけ、政治色の強い城ではあったため、単純な虎口、竪堀などはなく防御施設は貧弱と言われている。六角氏も本格的な籠城戦は実施せず、一旦城を明け渡した後に勢力を整えて、再び奪取する戦術を何度もとっていた。


・・・この後、山城も大きく進化していき、一線防備でなく曲輪の配置や形状に工夫が見られて拠点防備になっていくが、観音寺城は当時の技術としては堅城で、発展途上ではなかったとか思われている。



総合して考えるに、戦国後期、「集団殲滅戦」というものが発生するまでは、戦争はいわゆる威嚇戦というものが主でした。

山上から斜面一帯に広がる郭群に幟でも挿しておけば、ものすごい威圧効果があったことでしょう。六角氏の権威というものを誇示するには、それで充分だったと感じられます。


その後鉄砲の出現により従来の城郭の考え方では対応できなくなり、山上の主要な郭には少なからず技巧的な手直しがされたかもしれません。

しかしあまりにも巨大な山城であったため、とても全山の手直しなどはできないまま、織田信長の前に無血開城することとなります。信長もこの城を改修などせずそのまま廃城となります。


規模が大きすぎるがゆえに、改修も難しいほどに機能不全に陥ってしまったというところでしょうか。




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登城日:2010年9月22日  所在:滋賀県東近江市五個荘日吉町・佐野町 

評価:★★★★☆


さすがの巨大山城です。林道使用で体力を温存できたにもかかわらず、またしても疲労してしまいました。

中世山城としては特筆すべき石垣群。今回紹介した場所以外にも山中いたる所に郭跡や埋もれた石垣があります。超マニアの方は藪漕ぎの準備をして山中に分け入るべし!

一般の方も、三角点はともかく、池田丸あたりまではぜひとも見学することをおすすめします。林道終点から観音正寺→本城へ真っすぐ行けばそんなには疲れないので安心ですよ。
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コメント

1. ほっほぉ~


何度も陥落しているんですか。
それは知りませんでした。
かなりの堅城というイメージが強い城なんですが…。
竪掘もないのもビックリです(ノ゚ο゚)ノ

まぁ湯築城も、結構陥落していますからね(^_^;

2. Re:ほっほぉ~


>syunpatsuryoku1号さん

何というか、石垣などを見ると「先進的」ではあるのですが、縄張りとして「技巧的」ではないんですよ。
理由として、wikiにもある通りこの城は権威付けを重視したものであったからなのかもしれません。
無論十分な兵力と高い士気があれば、縄張りの未発達さなど補って余りあるほどの堅牢さを発揮できると思います。それほどの巨大山城です。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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