荒砥城は戸倉上山田温泉のすぐ裏手の山上にあり、大河「風林火山」のロケ地ともなったところです。といっても、自分が登城した時はなんの下調べもしていなかったので、このような予備知識はありませんでした。
R18を上田から長野方面に向かうと、途中坂城町で「戦国の名将 村上義清公 生誕の地」という大きな看板があります。常勝武田信玄に、二度まで黒星をつけたことで有名な武将です。
荒砥城も村上氏の一派・山田氏が領していましたが、真田幸隆の急襲で戸石城が陥落した際、荒砥城主の山田国政は戦死、武田晴信は奪取した荒砥城に屋代政国を入れ守らせます。この後、越後へ落ちた村上氏に代わり、越後の長尾景虎が奪還に動くことになり、両者の間で激しい争奪戦が繰り広げられます。
戸倉上山田温泉郷に入ると、「荒砥城(直進)」の看板を発見。ということで予定にはなかったのですが急遽登城することにしました。正面右手の険しい山上にあります。
かなり険しい山の上にありますが、車で頂上近くまでこられ、駐車場も完備されています。
あれっ、入場料がかかるのか。
中世城郭で入場料をとられるとは、びっくりして涙が出そうですよ。
入場料がかかるだけあって、とても奇麗に整備されています。
このような石垣が本当にあったのか疑問に思う方もいるかもしれませんが、信州の山城では近江で近世城郭が誕生する以前から、このような平たい石を積み上げて築城に利用していました。まだ石垣を高度に積み上げる技術はなかったものの、かなり早い段階から写真のような石積みを利用した城郭が、信州には数多くあります。
ちなみにこのお城の石垣はさすがに再現ものです。
城址碑があります。その先は料金所。
トイレと料金所に挟まれた右手の道を進んでいくと、広場となっている四郭に出ます。
料金所脇の冠木門。雰囲気があります。
その先には風林火山の幟が。
てくてく登って行き、三郭から見上げた櫓。いいなあ。
二郭を守る櫓門。堅固です。
なんとなく石川県の鳥越城を思い出します。
門を突破してもすぐ郭内に入れないような構造。
いわば桝形のような空間。
二郭には簡単な資料展示館があります。
展示を見て、はじめてここが風林火山のロケに使われた場所と知りました。
いろんな意味で風林火山好きなので、この展示はよかった!
色紙もあるよ。
ちょうどこのあたりの話ですね。
続きまして、櫓に登ります。全方位絶景!
南東方面、武田軍が進攻してきた方向。
村上氏の本拠、葛尾城もよく見えます。とんでもない山城だ・・・
東側。温泉街を見下ろす。高いなあ。
北方、川中島方面。
その②へ
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