FC2ブログ

記事一覧

別府城 ~別府氏の居城~

別府氏は、成田氏系図によると、成田助高の二男次郎行隆が別府に住んでから、その子太郎能幸は東別府に、二郎行助が西別府に数代相対して領知した。この城は、東別府家の館として、東西南北ともに約一町(百余m)四方で、周囲には巾約2~3mの横濠(現在は西、北、東側に残っている)をめぐらし内側に高さ約2mの土塁を築き、中世の武士の館跡として典型的な形を見る事が出来る。太郎能幸に初まった東別府家は、それから11代目の尾張守長清まで続いたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の北条氏攻略に際し、敗軍側についたため家禄を失ってしまったので、この東別府城も廃城になってしまった。

(現地説明板参照)

香林寺の西側にある東別府神社が別府城です。別府氏館とは目と鼻の先の距離です。



KDの城館探訪記

「村社 東別府神社」の大きな石碑の脇に、控え目に標柱があります。

やはり寺より神社の方が城址碑が設置されている割合が高いです。

ちなみにこの標柱の側面にお城に関する説明が記載されていますが(やや消えかかっている)、内容は神社に設置されている説明文に近いものです。




KDの城館探訪記

東別府神社。説明板も完備。




KDの城館探訪記

東別府館址」の石碑も。西別府館の対という意味でこの別称があるのでしょうが、ややこしいです。




KDの城館探訪記

東側、土塁と堀。予想以上の規模でびっくりです。




KDの城館探訪記
東側虎口。




KDの城館探訪記

東北隅。土塁、犬走り状の通路と堀を合わせた三段構成になっています。




KDの城館探訪記

北側の土塁と堀。




KDの城館探訪記

西側。




KDの城館探訪記

西側の道路の先に標柱が見えたので撮影。

南側にあった標柱より新しいものです。




KDの城館探訪記

再び西側。喰い違い虎口になっています。

手前の柵の上の一面のカリスエットの空き缶が壮観です。




KDの城館探訪記

北西隅、ひときわ高い土塁。櫓台跡の可能性あり。




KDの城館探訪記

土塁上から。




KDの城館探訪記

もう一つあった城址碑。




============================================

登城日:2010年3月20日  所在:埼玉県熊谷市東別府

評価:★★☆


戦国期まで使用された貴重な方形館で、土塁が良好に残っているうえ、藪などもなくとても見学しやすいお城です。

別府氏関係の城館はこの近辺に密集しているのでまとめて巡るには都合がいいのですが、それぞれの名称が書籍や資料によってまちまちなので少し混乱します。一つの城郭単体なら別名があっても問題ないのですが、ここはそれぞれ名称が入り乱れてしまっているので、こんがらがってしまいそうです。

============================================


関連記事

コメント

1. 見事ですね。


先ほどの別府氏館とは、全く違いますね(^-^;

見事な土塁そして堀。
さらには食い違い虎口があるとは、驚愕です(ノ゚ο゚)ノ

是非とも、後世まで残してほしいですね。

2. Re:見事ですね。


>syunpatsuryoku1号さん

予想以上でした。

この日7か所の埼玉の城館を巡ったのですが、ここが唯一ちゃんとした遺構が残っているところでした(笑)

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: