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勅使河原氏館 ~神流川古戦場の直近~

勅使河原氏の先祖は丹党である。七党系図に勅使河原丹次郎直時あり父を秩父丹五基房という。直時1075年頃この地に移居し地名をもって家号とした。これが勅使河原氏の起りである。勅使河原氏は直時の子を弥四郎直兼と称し、その子権三郎有直、同四郎有則といいともに源頼朝に仕えた。一族の働きは素晴らしく『盛衰記』『吾妻鏡』『太平記』その他多くの書物にのっているが、その戦いぶりは武蔵武士の代表といっても過言ではない。1338年室町幕府がつくられるに及び天皇方に組した勅使河原氏一族は難を逃れるためにこの地を去った。なおこの館跡には当時の土塁の一部が残存しまた累代の墓は有直創建の大光寺にある。

(現地石碑参照)



埼玉県の最北端、ほとんど群馬県との境で、R17神流川橋の南にある大光寺が勅使河原氏館跡です。



KDの城館探訪記

大光寺説明板。神流川合戦の記述もあり。

明治42年2月、高崎線の灰煙を被り全焼したとのこと。




KDの城館探訪記
その高崎線。寺のすぐ脇を通っています。




KDの城館探訪記

城館碑。寺に設置されているのは珍しいケース。

この石碑の裏に、上に記載した説明があります。




KDの城館探訪記

大光寺入り口。




KDの城館探訪記
入口から入って左手奥に土塁というか櫓台状の土段があり、その上に設置されているお堂。

この土段が城館遺構であるかどうかは不明。



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登城日:2010年3月20日  所在:埼玉県児玉郡上里町大字勅使河原

評価:


本堂脇の土台が遺構かどうかは不明ですが、境内の裏にはわずかに土塁跡があるようです。また、本堂裏には1582年の神流川合戦の際に矢傷を受けた総門が移築されて残っています。そのほか勅使河原氏の墓も境内に残っています。

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コメント

1. 総門が


神流川の合戦の戦火を潜りぬけて残っているんですね。凄い!

2. Re:総門が


>syunpatsuryoku1号さん

本堂の裏っ側に門だけぽつねんとありました。

あまり意識していなかったのでさらりと通過してしまいました。もったいない。

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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