FC2ブログ

記事一覧

金窪城 ~神流川合戦で炎上~

この日訪れた石碑級城館(ほとんど碑や説明板だけしかないようなところ)の紹介、まだまだ続きます~

今のうちに紹介しておかないと、来月あたりはちょっと忙しそうなことになりそうなので・・・


さて、続きましては県指定史跡・金窪城


金窪城跡は、神流川に臨む崖上に残る平城の跡で、別名太瑯(たや)とも呼ばれた。平安末期の治承年間(1177~81)に武蔵七党の一党である丹党から出た加治家治の構築と伝えられ、元弘年間(1331~34)に新田義貞が修築して、家臣の畑時能に守らせたという。室町中期の寛正年間(1460~66)には斎藤実盛の子孫といわれる斎藤盛光が居城した。天正10年(1582)6月、滝川一益と北条氏邦の神流川の合戦において、一族ことごとく討死にし、城も兵火にかかって焼失し斎藤家は没落した。その後、徳川家康の関東入国にともない、川窪氏の所領となり陣屋がおかれたという。川窪氏は元禄元年(1698)丹波国に転封となり、陣屋も廃されたという。

現在、城跡の大部分が畑地や雑木林に変わっているが、所々に遺存する堀や土塁の一部に戦国のむかしを偲ぶことができる。

(現地説明板参照)



このお城もまたわかりにくいところにあります。上里町大字金久保、r392より北側に入り、川の手前にあります。

と言ってもわからないと思われますので、川の北側にある神社を目標にするといいかもしれません。Mapionにも載っています。



KDの城館探訪記

これがその黛神社。ここから川を挟んだ対岸に公園が見えますので、そこを目指しましょう。




KDの城館探訪記

公園脇の一角にある城址碑。ここには説明板が2基設置されています。

上の説明は新しい方の説明板の内容です。




KDの城館探訪記

城址碑の裏には土塁があります。

現在残されている唯一の明確な遺構と言ってよいでしょう。




KDの城館探訪記

公園の名称は、金窪城址公園!

奥には、櫓台のようなものが・・・(いや、ただの遊具だろ)




============================================

登城日:2010年3月20日  所在:埼玉県児玉郡上里町大字金久保

評価:


関東の中世争乱期において意外と重要度の高いお城で、その影響もあってか、かなり早い段階で(昭和10年)県指定史跡になっています。しかし現状では一部の土塁程度しか残っていません。

史跡指定と遺構の残存度のギャップが激しいお城です。

============================================


関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: