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会津若松城② ~五重五階の層塔型天守~

城の大改修を行い、鶴ヶ城を92万石の大大名にふさわしい居城にした蒲生氏郷であったが、1598年(慶長3年) 氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。代わりに越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。1600年(慶長5年)徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した上杉景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。


ねこへび


蒲生氏郷、もう少し長生きしていればおそらく五大老クラスに列せられたことでしょう。関東に入封した家康の背後を牽制する役割として、秀吉が氏郷を送り込んだのは明白です。


蒲生氏のお家騒動を見て、秀吉は代わりに上杉景勝に蒲生氏以上の大領を与えて移封させ、家康の背後の牽制役とします。


しかし織田・豊臣の下で幾度か領地が変わり、その都度新しい領地で実績を上げてきた氏郷と違い、幾代にもわたり越後国内での統治を続きてきた上杉氏(長尾氏)にとって、いきなり別の領地での統治は厳しいものがあったようです。人心掌握にも時間がかかりました。


何となく全国規模で異動するキャリア官僚と、地盤に支えられている地方実力者の関係に似ています。



KDの城館探訪記

廊下橋から枡形虎口内へ。この時の自分は興奮しすぎて多少げっそりしています。




KDの城館探訪記

ヌオ、天守が見えてきました。




KDの城館探訪記
天守は蒲生氏天守、加藤氏天守、戊辰の役後の破却を経て、昭和の復元天守と変移しています。

五重五階の層塔型天守は大迫力です。

屋根の数を数えると、6重にも見えますが・・・一番下の屋根は周りを囲う塀の屋根なんですね。


この記事を書いている現在、鶴ヶ城天守は修繕工事中です。幕末期に使用されていたという赤瓦への葺き替え作業が行われています。工事完了後は、真新しい印象になるでしょうね。



KDの城館探訪記

チケットを購入し、天守入場は埋門から。なんだか石垣の中に入っていくようでわくわくします。天守の石垣は蒲生氏時代の穴太積みによるものだそうです。


天守内は資料館になっています。展示内容も豊富で、いろいろと勉強になります。




KDの城館探訪記

天守内から、大手の枡形虎口。

社が建っているあたりは明らかに櫓跡です。虎口に攻め入ろうとする敵を射撃し放題。




KDの城館探訪記
手前から走り長屋・鉄(くろがね)門・干飯(ほしい)櫓。

平成13年、木造外観復元。




KDの城館探訪記

屋根瓦越しの本丸内の様子。




KDの城館探訪記

同じ方向を最上階から。かつて本丸御殿があった場所です。




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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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