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会津若松城① ~蘆名氏の居城から近世城郭へ~

中世には蘆名氏の居城である黒川城があった地で、蘆名盛氏の時代にこの地を中心に広大な版図を築いた。戦国末期には伊達政宗により蘆名氏は滅亡したが、秀吉の奥州仕置きにより政宗は会津を召し上げられる。変わって黒川城に入ったのは豊臣政権の実力者にして築城の名手、蒲生氏郷。氏郷により黒川城は織豊系城郭へ大改修され、1593年(文禄2年)望楼型7重(5重5階地下2階とも)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。


ねこへび   


日本にあるすべてのお城の中でも、規模・遺構・重要性に歴史性など、さまざまな面から見て間違いなくトップ10に入るであろう会津若松城・通称鶴ヶ城


自分がまだ小学生の頃、親に連れられて一度訪問しているのですが、当時の記憶はモヤモヤしてあまり残っていませんでした。今回、ほぼ初訪問のつもりで登城。


ねこへび


現在は西出丸が駐車場となっているため、多くの観光客の方はそちらからの登城となりますが、今回の登城記では東側からの攻略を試みます。


体育館や文化福祉センターがある一角から本丸を目指すと、早速大規模な水掘がお出迎え。



KDの城館探訪記

左は堀、右は広場で、何やらイベントをやっております。

右手の奥には県立博物館や図書館があり、かつての三の丸にあたります。広いなあ。




KDの城館探訪記
三の丸と二の丸を分ける堀。石垣はありませんが、幅、深さともに申し分ありません。蘆名氏時代の遺構かもしれませんが、規模が大きいので、もう少し後の時代のもののような気もします。

折れも備わっており、死角がありません。




KDの城館探訪記

東門。加藤嘉明の時代までは、ここが大手口にあたりました。

(後に北出丸側が大手口に変更)




KDの城館探訪記

二の丸内。堀の規模がいちいち大きいので圧倒されます。

いつも超マイナーな城において碑があるかどうかに一生懸命になっている自分には目の毒です。




KDの城館探訪記
廊下橋です。スゴイです。

二の丸から本丸帯郭東側への五軒丁堀に掛る橋で、往時は、敵が攻め寄せた時には切り落とし、また、見透かされないように屋根の有る構造だったといいます。




KDの城館探訪記
廊下橋と枡形虎口。
正面奥に天守が見えますね。




KDの城館探訪記

橋の上から見た、ほぼ垂直に近い高石垣。高さ20mはありそうです。

すばらしい・・・


矢印の場所は茶壷櫓といい、蒲生氏郷時代に茶道具を納めていたことから名付けられたといいます。北側の弓櫓と対で廊下橋の防御をしていました。




その②へ


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コメント

1. 一昨年の


夏に行ったのですが、時間が殆どなくあっさり見終えてしまいましたので、悔いが残っています(>_<)

連載、楽しみにしています(^0^)

2. Re:一昨年の


>syunpatsuryoku1号さん

大きくて見どころの多い城ほど、えてしてじっくり見学できなかったりするものですよね。
私も江戸城に行った時は、充分時間をとったつもりでも見落としだらけでした。
大阪城なんて、まる1日かけないととてもまわれない気がします。

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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