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多賀城 ~古代悠久の丘~

多賀城(たがじょう、たがのき)は、日本の律令時代に、陸奥国に設置された城であり、国府・鎮守府などに使われた。国の特別史跡に指定されている。

創建は724年(神亀元年)、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから10世紀半ばまで存続した。8世紀ごろの日本では、平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城をおくこととなった。


「城」とありますが、形態としてはいわるゆる「」と呼ばれるもので、「防御力のある政庁」といった感じで認識してもらえればと思います。


なので天守や水堀などは無論のこと、石垣も虎口も堀切もありません。




KDの城館探訪記

多賀城市文化センター。なんだかとっても立派な建物です。ちなみに入場無料。

100名城スタンプはこの中にありました。また、一緒に置いてあった通常スタンプのキャラクター「あやめ姫」がかわいい。




KDの城館探訪記
センター内にあった多賀城碑のレプリカ。

ちなみにこの碑は「日本三古碑」の一つでもあります。

他の二つは栃木県大田原市の「那須国造碑」と、群馬県高崎市吉井町の「多胡碑」。


センターには築地塀の作り方の映像も放映されています。それを見て、いざ政庁跡へ。




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城跡に到着。センターからはけっこう離れた場所にあります。無料駐車場もあり。

この手前の道はそんなに大きい道ではないのですが、意外と交通量が多めです。




KDの城館探訪記
道路の南側すぐにこの覆堂があり、多賀城碑はこの中です。

松尾芭蕉も旅の途中にこの碑を訪れ、深い感動をもって対面した様子が「おくのほそ道」に記されています。またその当時は野ざらしの状態で、碑面が文字を隠すほどの苔で覆われていたとも記されています。


ここにボランティアのおじいさんガイドがいて、いろいろと説明してもらいました。




KDの城館探訪記

ここは多賀城政庁の正面で、かつて南門と築地塀のあった場所です。




KDの城館探訪記

外郭南門の復元図。

外郭は、この丘陵全体を覆うとてつもなく大規模なものであったようです。




KDの城館探訪記

政庁跡へ。

緩やかな石段が、過去へといざなってくれるかのようです。


石段を登りきると、待ち受けていたおばちゃんガイドに捕まってしまいました。

こちらのガイドさんもいろいろと丁寧に説明をしてくださいました。

「かつては東北で最も繁栄したこの地も、残っているのはあっちの石(碑文)とこちらの石(礎石)だけ」とも。




KDの城館探訪記
復元模型や、説明パネルが並べられています。




KDの城館探訪記
石碑と礎石。政庁正殿です。




KDの城館探訪記
周辺には築地塀が再現されています。これが全体を囲っていれば、なかなかに雰囲気が出ますね。

一部コンクリートで補強されていますが、多賀城碑前にいたおじいちゃんガイドによるとあんまり評判はよろしくないとのこと。

本来屋根が付いていたものを屋根なしの状態でほっておくんだから、何かしらの補強が必要なのはしょうがないですね。




KDの城館探訪記
正殿裏、土塁らしき。築地塀の跡でしょうか。



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登城日:2009年5月9日  所在:宮城県多賀城市市川

評価:★★★


一般的な城郭をイメージしている方からすれば見どころは多くないかもしれませんが、100名城に選ばれているので、100名城スタンパーは全国からこの場所を訪れることになります。歴史を肌で感じるにはいいところです。神社に興味のある方は、近くにある陸奥国一ノ宮の鹽竈神社もぜひ訪れてみてください。
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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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