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藤島城 ~東北の南朝の拠点~

藤島城の築城年代は不明であるが、和銅年間(708~715)の頃の国府の府城と言われ、出羽の守や鎮守府将軍の居城であった。 平城ではあるが藤島川を外堀とし、向楯、古郡楯、柳久瀬楯、平形楯、勝楽寺楯等の前衛基地を設け完璧なまでに堅牢な城であった。


正平6年(1351)、北畠顕信が守永親王を奉じて旗上げをした歴史上有名な城でもある。爾来二十有余年間、東北の南朝の拠点として守られてきた。


戦国時代末期になると庄内一帯が最上氏と上杉氏の交戦場となる。天正年間に行われた奥州仕置きにより上杉氏の支配するところとなったが、天正18年(1590)太閤検地の折、一揆が勃発し藤島城に籠城。上杉景勝の宿老直江兼続が鎮圧にあたったが、ついに落し得なかったという。


関ヶ原合戦後は藤島城は最上義光の支城となり、家臣である新関因幡守久正が城主となったが、元和元年(1615)最上氏改易により廃城となった。



KDの城館探訪記
早朝の風景。水掘が残っていますね。




KDの城館探訪記
主郭大手虎口。説明板には本丸大手口とあります。

石碑も標柱もありうれしい。




KDの城館探訪記
説明板。




KDの城館探訪記
現在、主郭には八幡神社が鎮座しています。




KDの城館探訪記
土塁。上に登って一周。




KDの城館探訪記
土塁に囲まれ、早朝の静寂さと相まって素敵な雰囲気。




KDの城館探訪記
北西側の土塁はひときわ高く、楼台があったのかも知れません。石祠が祀られています。

奥に見えるのは庄内農業高等学校で、かつての二郭跡にあたります。




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登城日:2009年5月5日  所在:山形県鶴岡市藤島

評価:★★


水掘の一部と土塁が残存していますが、主郭周辺の遺構しか残っていないためか、それほど堅牢という印象は受けません。説明板にある通り、向楯、平形楯、古郡楯、柳久瀬楯、勝楽寺楯等の前衛支城と連携することによって、直江山城守も落とせなかったという難攻堅固さを発揮するのでしょうね。
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コメント

1. 土塁が


しっかり残っていますね!!!

勿論、南北朝期からはかなり改変されているとは思うのですが、直江兼継が落とせなかったという事は、かなりのモノだったんですね。
まぁ、直江兼続が戦上手だったかといえば、微妙かもしれませんが(^^;

2. Re:土塁が


>syunpatsuryoku1号さん

>まぁ、直江兼続が戦上手だったかといえば、微妙かもしれませんが(^^;

そこはあえて触れなかったところです(^_^;)
兼続さんにしろ三成さんにしろ、戦下手の武将が最近ではなぜか歴女の方々に人気があるらしいですからね。

単に家康と敵対した武将を持ち上げているだけのような気もしますが。

3. 城攻めは・・・


総じて上杉軍は謙信公も含めて城攻めは不得手の印象がございます。今の小職の興味からして南朝という言葉に反応をしてしまいます(笑)

4. Re:城攻めは・・・


>かすさん

守る側が圧倒的に有利に作られているのが「城郭」というものですからね。
謙信公の場合は相手が最初から野戦を回避するくらいだから、同列には語れませんが。o(^-^)o

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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