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樺沢城① ~北条vs上杉~

坂戸城の次に向かったのが樺沢城。地図に場所が記載されていないので迷うことを覚悟していましたが、R17沿いにでっかい案内看板があります。その後も随所に案内表示があったため迷うことなく到着。



KDの城館探訪記

その途中にあった「下屋敷跡」。領主の住んでいた御屋敷跡と同じ段丘にあり、上杉氏の会津移封後は百姓が移り住んだ(!)とあります。




KDの城館探訪記
これは駐車場に近くにあった「城之腰跡」。



KDの城館探訪記
隣にある龍澤寺。境内には景勝公やその奥方(菊姫)にまつわるものがあるそうですが、スルー!




KDの城館探訪記
登城口。ひときわ大きい「上杉景勝公生誕の地」の看板。ここにある郵便ポストのようなものの中に城の案内図が入っています。こういったものが準備されているのはありがたいことです。



「樺沢城跡保存会」のHPから。少し長文ですが読んでみてください。


樺沢城は南北朝時代は鞠子城と称し、新田義貞の家臣である田中右衛門尉の居城といわれている。戦国時代後期の戦乱の時代に長尾景虎(後の上杉謙信)が越後を平定した。天文20年(1551)年、景虎は姉の綾姫を坂戸城主である長尾政景に嫁がせ、樺沢城の改築を命じた。政景はその家臣である栗林・深沢・登坂等の武将に命じ改築させた。城下は桜町と称され関東遠征の際の宿所とされた。樺沢城は清水街道、三国街道を扼す重要な位置にあり、春日山城から関東までの最短距離上にあったので、政景はここを関東からの情報基地にしたと思われる。 政景夫人の綾御前も常に当城に居たらしく、結婚5年目の弘治元年(1555)11月27日に当城で男子が誕生した。幼名は「卯ノ松」といい、後にこの男子が上杉景勝となるのである。母の綾御前は夫の長尾政景亡き後、仙桃院と号し常にこの城に住んでいたと思われる。景勝は永禄2年(1559)3歳で上杉謙信の養子となり、同年5月11日元服して喜平冶(顕景)と称した。その後、天正3年(1575)1月11日、弾小弼景勝と改名し、天正6年(1578)3月謙信の死去に伴い、上杉家を相続した。謙信は天正6年(1578)3月13日に49歳で脳卒中が原因でなくなったが、その直後、後世「御館の乱」と言われる家督争いが始まった。謙信にはもう一人養子がいた、それは、関東小田原城の北条氏康と同盟を結んだ時に人質として越後に来た、氏康の七男の氏秀である。謙信は氏秀を気に入り、養子とし自分の青年時代の名である「景虎」を与え、さらに元亀元年4月景虎17歳の時に景勝の妹の華姫を妻としたのである。謙信の死後家臣団は二手に別れ、一方は景勝(24歳)を立て、もう一方は景虎(25歳)を立てて、家名相続を争う戦いとなった。景虎の兄である北条氏政は九月初め氏照、氏邦に命じ大軍を率いて三国峠を越境、上田の庄(魚沼)に乱入し、樺沢城を攻略した。北条軍は樺沢城を本拠として坂戸城などを攻撃していたが、冬の迫る九月末に樺沢城に北条(きたじょう)輔広・河田重親を置き帰国した。当初、景勝軍は劣勢であったが、翌天正7年2月から攻勢に転じ、手薄となった景虎軍を攻め、遂に3月中旬から同24日に景虎を追い詰め 自刃せしめた。夫人の華御前も2人の男の子と共に自害し、樺沢城の奪回にも成功した。この戦いにおいて当城の番将である栗林政頼は「肥前守」の位を与えられ、樺沢城主を命じられた。御館の乱から20年後の慶長3年(1598)に景勝は豊臣秀吉から会津120万石に国替えを命じられた。これに伴い、樺沢城は廃城となった。


坂戸城に「景勝・兼続出生の地」の碑が立っていましたが、実際景勝が生まれたのはこちら樺沢城であったようですね。


登城してみて、越後の城としてはかなり技巧的な要素が多いと感じました。北条氏が一時在城して北条流の要素を組み入れたのがその理由でしょうか。



KDの城館探訪記
登城口から入ってすぐ、「元屋敷跡」。




KDの城館探訪記
少し進むと、こんな表示が。




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・・・このあたりのようです。




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さらに進むと、こんな表示も。




KDの城館探訪記

・・・あのあたりのようですね。




KDの城館探訪記
登城路を登っていくと、このような彫刻が。なごみます。




KDの城館探訪記

彫刻のあたりから、城の遺構が連続して出現します。看板も設置されていますが、なくてもそれとわかるくらい明瞭な遺構です。




KDの城館探訪記
木も適度に伐採されており、遺構の形状をつかめやすいです。




KDの城館探訪記
堀底道を登っていきます。




KDの城館探訪記
左手に一段高い「望楼」。登ってみると「城主の館↓眼下38m先」の看板がありますが、下を見ても森になっていてわからん!




KDの城館探訪記
矢印に導かれるように、奥へと進みます。



その②へ


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コメント

1. →


の看板ばかりですね。
さすが、大河ドラマ効果!!!

でも→の先が、線路っていうのは笑える(^^;

2. Re:→


>syunpatsuryoku1号さん

確かに。攻城するというより、誘導されている感が強かったです。

→の先が線路には、さすがに「・・・(・_・;)」といった感じでした。

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
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