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奥平城 ~長篠守将奥平氏の祖~

高崎市吉井町、ややわかりにくいところに奥平城はあります。



KDの城館探訪記

標柱と石碑。石碑脇には説明板があります。


奥平氏の祖赤松則景は源頼朝の挙兵に応じ、その子はのち甘楽郡司となり、郡内に奥平城を築き奥平氏を名乗った。8代貞俊は南朝方の武将で、尹良親王に従って三河に移住し、駿河の今川氏に仕えた(尹良親王は信州にて自害)。13代信昌(定昌)の時、今川義元は桶狭間にて敗死。その後徳川家・武田家の間で帰属に揺れたが、ついには徳川家につき、長篠の合戦では長篠城を死守し戦功を挙げる。これより奥平氏は外様ながら家康に重用され、信昌は徳川家康の長女亀姫を娶り、長男家昌は宇都宮10万石を拝領しその子孫は豊前中津奥平藩主となり、四男忠明は家康の養子となり松平の姓を受け大坂の陣の戦功により姫路18万石の大名へと出世し武蔵忍藩の遠祖となった。




KDの城館探訪記

ちなみに車を止めるところがないのでこんな感じです。

見学中1台も車が通った気配はありませんでしたが。





KDの城館探訪記

城址碑から比高数m程度の登りを経ると、郭跡らしきに出ます。

現況はどう見ても100%畑です。

後日調べたところによると、ここは八幡郭と呼ばれており、八幡が祀られていたという。




KDの城館探訪記
主郭は背後の竹林の中にあるらしいのですが、真冬だというのに藪になっていて探索は厳しいです。それでも無理して竹林の中に入りましたが、堀跡ともつかない微妙な段差があるだけでした。

これまた後日調べたところによると、この竹林の奥には武道原と呼ばれる広場(郭跡?)があったようですが、現在の状況は不明です。



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所在:群馬県高崎市吉井町下奥平

評価:★☆


プロの目から見たらもう少し状況がつかめるのかもしれませんが、数年前当時の自分の目ではこれが限界でした。真冬でこの状態、夏場はどんな状態なのでしょうか・・・恐ろしい。

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コメント

1. 奥平氏


の祖が赤松氏だったのは、初めてしりました!

しかも、上野からやってきていたのも!

うちの祖も関東から移住してきたらしいですから、誰々に従って移住する事は、そう珍しい事じゃなかったんですね。

2. Re:奥平氏


>syunpatsuryoku1号さん
コメントありがとうございます。

自分もそんなに詳しくないのですが、江戸期以前には武士団の移住というものは頻繁に行われていたようですね。

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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