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唐沢山城④ ~江戸城を見下ろすとはけしからん!?~

もう見飽きた感のある案内図。これで最後です。


KDの城館探訪記
現在、本丸北側の武者詰から二の丸へ移動中。




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二の丸北側の虎口。この辺は近世城郭風です。

一度内部を見ているので、引き返します。




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二の丸から三の丸へ降りてきました。




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三の丸は広場になっています。謎のモニュメントから二の丸を見上げる。




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三の丸からさらに降りて行くと、第2回で紹介した分岐点に出ます。

また、帯郭も確認できます。


城の主要部分は以上なのですが、手元にある案内図で「避来矢山」とあるところにも寄ってみます。




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「避来矢山」へ登る階段。駐車場近くにある小高い山で、外城機能を有していたもののようです。




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階段を登りきると、だいぶ痛んでいますが根古屋神社の碑があります。

社もあり、郭状の造成もなされています。




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さて、最後に第1回でスルーした天狗岩へ向かいます。

ごつごつした岩を登ると・・・




KDの城館探訪記
ここからの眺めも大絶景!




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岩から松の木が・・・




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唐沢山城は慶長7年(1602)廃城となり、城主佐野信吉は春日岡城佐野城)へ移ります。廃城となった理由として、次の話があります。


江戸に大火があった時、唐沢山城からそれをみた佐野信吉は早馬で江戸に赴き家康を見舞う。しかし、「江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることか」と家康の不興を買った。

確かにこれだけ見晴らしが良ければ、江戸が大火事になったりすればすぐわかるでしょうね。




KDの城館探訪記

転城のもう一つの要因として、「山城禁止令」も挙げられます。

全国的に戦いに向いた山城から政治に向いた平城へ変化していく流れはありましたが、とくに江戸近辺ではその統制が強くしかれた、ということです。


しかし最大の理由は、豊臣系の流れをくむ佐野氏への「外様潰し」ではなかったでしょうか。

江戸俯瞰説も山城禁止令も後追いの理由づけのように感じられます。




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登城日:2009年3月7日  所在:栃木県佐野市富士町

評価:★★★★

やや厳しめの評価で、限りなく4.5に近い4つ星評価です。減点の原因となった点は、城の主要部分が削られまくっているところです。本丸の神社はまだいいとして、西城・南城・北城その他主要な郭がすべて現代に入ってからだいぶ改変されてしまいました。とくに北城のあたりは自然公園の施設が立ち並び、しかも最近閉鎖されたようで廃墟になっているのが厳しいです。史跡指定されていないのもおそらくその辺が原因なのでしょう。

しかしそれを差し引いても縄張り・高石垣・景観に歴史性など、素晴らしいと思います。関東七名城の面目躍如といったところです。おすすめ。

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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