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龍岡城 ~もう一つの五稜郭~

「もう一つの五稜郭、国指定史跡の龍岡城にやってきました。

夕方なので急ぎ足です。



KDの城館探訪記
石垣、というか石塁はかなり低いです。これは函館五稜郭も同様です。また、上部の武者返し状の突出も共通しています。




KDの城館探訪記
水堀と稜堡+土塁。水堀は全体の3分の1ほどは未完成のようです。(1枚目写真参照)




KDの城館探訪記
城内は小学校。予備知識なしだったので驚きました。というか、平日だと見学できないってこと?

右手に見えるのは御台所櫓で、現存の建物なんだとか。




KDの城館探訪記
同じく城内の一角にある田口招魂社




KDの城館探訪記
合理的で、かつ美しい。機能美というのでしょうか。




KDの城館探訪記

城址碑と大手門。




KDの城館探訪記

説明板。


信濃国と三河国に領地を持つ三河奥殿藩の藩主だった松平乗謨(大給恒)は、幕末の動乱期に拠点を信州の田野口に移すことを決める。開明派だった松平乗謨は洋式築城での設計を幕府に届け出て許可を得る。元治元年(1864)、築城を開始。慶応三年(1867)竣工、龍岡城と称した。しかし完全な完成前に明治維新を迎え廃城となった




KDの城館探訪記

近くの資料館は閉館時間になって入れませんでした。外から見た図面。




KDの城館探訪記
未完成で水掘が作られていない面ですが、意外と土塁の高さがあります。ここを飛び降りて駐車場へショートカットしようとしましたが、思いとどまりました。

この当時最新鋭の西洋稜堡式城郭は、日本古来の横矢や馬出といった機能を最大限に合理化したものといえそうです。重火器が発達すると、天守といった目立つ構造物は真っ先に敵の標的にされてしまい、集中砲火を浴びてしまいます。


中世までの石積みで背の高い城壁は、ルネサンス期に攻城砲が出現すると格好の射撃目標となった。攻城砲の威力を減殺するために、城壁は背が低く厚みのある土塁へと変化していった。一方で防御側としても、同時期に登場した銃の威力を活用し、攻め寄せてくる敵に十字砲火を浴びせられるよう、死角がないように城壁から外向きに突き出した稜堡が築かれるようになった。こうして稜堡式城郭が発達していった。


外部リンク:ヴォーバン式要塞

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6c/Fortbourtange.jpg


もっと凄いものが見たい方は「星形要塞」で検索してみてください。びっくりするのが出てきますよ。



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登城日:2008年11月1日  所在:長野県佐久市田口

評価:★★★


珍しい稜堡式城郭です。戊辰戦争で実戦に使用されたらどの程度の実用性を発揮したのでしょうか。興味はありますが、未完成の上規模も大きくなく、砲台も火器もほとんどなかったため、実戦にはそう耐えられないと見られているようです。なんか残念!

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Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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