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記事一覧

松平忠吉・井伊直政陣 ~関ヶ原陣地群⑥~

2018.9 近畿・東海大遠征関ケ原駅の西にあるのが松平忠吉・井伊直政陣跡。幟旗や説明板があるので見つけやすい。松平忠吉は徳川家康の四男。東条松平家第4代当主、尾張清洲藩主。井伊直政は井伊氏第20代当主。上野国高崎藩の初代藩主、後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。直政から見ると忠吉は娘婿であり、その関係で初陣の忠吉の後見に当たっています。...

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徳川家康最後陣 ~関ヶ原陣地群⑤~

2018.9 近畿・東海大遠征田中吉政陣に隣接して広い公園(陣屋野公園)が整備されていますが、この公園一帯が桃配山の最初陣から前進してきた徳川家康が最後に陣を構えた場所になります。徳川家康最後陣地慶長5年(1600)9月15日午前6時ごろ、徳川家康は桃配山に布陣していたが、戦況が把握できないため、午前11時頃、笹尾山の石田三成本陣からわずか数百メートルのこの地に本陣を移し、全軍の指揮にあたった。善戦する西軍にいらだ...

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第8回 三河一揆でどうする!

本證寺から年貢を取り立てようとする家康(松本潤)に対し、一向宗徒が三河各地で一揆を起こした。武力で抑え込もうとするが、有能な軍師がいるらしく、すべての作戦が裏目に出る。松平昌久(角田晃広)など周囲の領主も寝返る中、家康は半蔵(山田孝之)を寺へ潜入させる。そこで半蔵が目にした空誓(市川右團次)を補佐する、意外な“軍師”の正体は…。三河一向一揆編、中編。反家康勢力が各地で蜂起し、家中からも次々に一向宗側...

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田中吉政陣 ~関ヶ原陣地群④~

2018.9 近畿・東海大遠征徳川家康最初陣から決戦当日の家康の前進をなぞるように西進。関ケ原関連施設の立ち並ぶ陣屋野公園付近に石碑発見。田中吉政陣跡田中吉政は、約3,000の兵を率いて細川忠興や黒田長政らとともに石田三成と戦い、激戦の末、最後は諸将と共同して石田隊を壊滅させている。合戦後、徳川家康に、逃走した三成の探索を命じられた吉政は、古橋村(滋賀県長浜市)の洞窟に潜んでいた三成を捕縛する大功を挙げた。吉...

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徳川家康最初陣 ~関ヶ原陣地群③~

2018.9 近畿・東海大遠征山内一豊陣跡の西側にある桃配山が徳川家康が関ヶ原合戦時に最初に布陣した場所。R21旧道沿いに小高い丘のように張り出している桃配山。国道の反対側に専用の駐車場あり。...

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中山道 関ケ原宿

2018.9 近畿・東海大遠征山内一豊陣跡から旧中山道を西へ進むと、松並木の合間に祠と案内看板のある一角に出ます。中山道 関ケ原宿中山道五十八番目の宿場となる関ケ原宿は今も昔も交通の要所であり、難所の今須峠や北国街道、伊勢街道などを控えて賑わった宿場です。本陣は現存していませんが、脇本陣は当時の門が名残りをとどめています。また「野上の松並木」は岐阜県内の中山道ではここにしか残っていない貴重な松並木です。...

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山内一豊陣 ~関ヶ原陣地群②~

2018.9 近畿・東海大遠征池田輝政陣跡から西へ進み、旧中山道に入り関ヶ原宿のすぐ手前にあるのが山内一豊陣跡。ちなみにこの二つの陣跡の中間地点に浅野幸長陣跡もありますがこの日は見逃しました(垂井一里塚のところ)。...

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春王・安王の墓

2018.9 近畿・東海大遠征池田輝政陣のすぐ隣にあるのが春王・安王の墓。...

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池田輝政陣 ~関ヶ原陣地群①~

2018.9 近畿・東海大遠征南雲大社の駐車場にこのような表示があります。安国寺恵瓊陣跡・毛利秀元陣跡先を急いでいたので向かいませんでしたが、国道に出たところまたも案内表示を発見。...

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第7回 わしの家

元康(松本潤)は、家康と名を改める。国をまとめたいと願う家康だが、三河内の争いも絶えず、三河統一は遥か先の話。そんな中、民衆の間で一向宗が人気と瀬名(有村架純)から教えられる。家康は宗徒が集まる本證寺に潜入すると、そこには寺内町という巨大な町がつくられ、住職の空誓(市川右團次)は、「民が苦しむのは武士のせいだ」と説いていた。家康は一向宗への対抗を命じるが・・・。...

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南宮大社(美濃国一宮)

2018.9 近畿・東海大遠征大垣城の次に訪れたのが美濃国一之宮・南宮大社。石柱(社号標)...

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大垣城③ ~「水の城」復活への構想~

大垣城本丸城郭図その①で示したように大垣城は広大な縄張りを持つ城ですが、現在そのほとんどは隠滅し、本丸部分ですらこの図のようにごく一部の建物の再建にとどまっています。...

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大垣城② ~関ヶ原の戦い西軍本拠~

大垣城の歴史について、以下特別な記載がない引用はwikiより。1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって揖斐川(牛屋川)東河岸にあった牛屋に築かれたともいわれ、1535年(天文4年) に宮川安定が大尻に築いたともいわれる。この当時は、牛屋城と呼ばれていたとされている。牛屋川を外堀の代わりに利用し、本丸と二ノ丸のみであった。戦国時代には大垣城は戦略上重要な地点であったため争奪戦が繰り返され、織田氏、斎藤氏、織田氏と...

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大垣城① ~四層天守聳える水の城~

2018.9 近畿・東海大遠征飯沼慾斎邸から大垣城へ。前回訪問したのは2011年9月なので、丸7年ぶりの再訪になります。奥の細道むすびの地 第二駐車場こちらの駐車場が無料(普通車以下)で利用できることは事前にリサーチ済み。城や大垣公園、大垣市郷土館などに近く便利です。...

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第6回 続・瀬名奪還作戦

今川氏真(溝端淳平)は元康(松本潤)に対し「降伏しなければ瀬名(有村架純)たちを皆殺しにする」と通達した。本多正信(松山ケンイチ)からは「今川家重臣を生け捕りにし、瀬名たちと人質交換する」という更なる秘策を提案され、実現困難ともいえる大胆な策だが、元康はすべてを託すことに。正信の命を受けた半蔵(山田孝之)は難攻不落の上ノ郷城に忍び込み、やがて火の手が上がる。その炎は成功の合図なのか、それとも・・・...

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飯沼慾斎邸 ~日本植物学の創始者~

2018.9 近畿・東海大遠征真清田神社を後にし、次の目的地は大垣城。過去に登城済みの城ですが、続のスタンプ回収のために再訪することになりました。今回の遠征はスタンプ回収のために再訪する城が多くなっています。有名な城を再訪するより無名でも未訪の城を訪れたい私としてはちょっと複雑な気分。木曽川を渡り岐阜県に入り、さらに長良川、揖斐川を渡って大垣市へ。事前に調べていた無料駐車場へ向かい市街地中心部を進んでい...

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真清田神社(尾張国一宮)

2018.9 近畿・東海大遠征小牧山城の次に訪れたのが尾張国一之宮・真清田神社。城館探訪をメインにしつつ名所旧跡や景勝地から山登り・岬めぐりまで手を広げていますが、その中でも裏探訪メインの一之宮巡りは城館探訪に次いで優先度が高くなっています。本編で掲載するのは天手長男神社以来(実際は順不同)。非常に細かいことですが、この「一ノ宮」の表記が常に統一されていないため、ブログ内検索で引っかかるように全パターン...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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