記事一覧

野辺地戦争戦死者の墓所

野辺地城から県道243号を西に進むと、途中次のような標識が現れます。戊辰戦争史跡→野辺地城の項でも触れたとおり、この地は戊辰戦争において野辺地戦争が起こったところになります。現在は同じ青森県ですが、かつて西は津軽郡(津軽領)、東は糠部郡(南部領)に分かれており、ここ野辺地はその境界近くに位置しています。(下図参照)郡界図津軽独立の経緯とその後の流れから、江戸時代において津軽・南部の両者は犬猿の仲であり...

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山城シーズン終了間際

2月も最終週となり、12月から続いていた上州山城ベストシーズンも終わりが近づいてきました。今シーズンは年末年始6連戦をはじめとして質量ともにかなり充実したシーズンとなりました。3月になると草は生えるは虫は湧くわ、花粉は飛散しまくるわで一気に劣悪な環境になるわけですが、日が長くなる利点もあるので場所を選べばまだ探索を楽しむことはできそうです。ちなみに前橋探訪2018 part2の記事以来先行公開がストップしていま...

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野辺地城 ~野辺地戦争の舞台~

下北半島の付け根に位置する野辺地町。その町役場の西側に公民館・図書館・資料館が集中している一角があり、そこがかつての野辺地城(金鶏城・野辺地代官所とも)の跡地になります。築城時期は定かでなく、南北朝時代に七戸南部氏の一族、野辺地氏が移住したとされます。康正三年(1457)の蠣崎蔵人の乱では、蠣崎城を本拠とする蠣崎氏の攻撃をうけて陥落したと伝えられます。慶長三年(1598)には、津軽氏に対する抑えとして石井...

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下北半島を南下

大間四十八館の探訪にて大間地区から離脱。R279はまなすラインで行きと同じルートをなぞりつつ下北半島を南下します。むつ市街に入ると大間付近の天候とはうって変わり好天に。日差しが厳しく外に出るのが億劫になるレベル。以下下北半島の付け根までのドライブ記録をダイジェストにて。 むつ市街中心部を越え少し南に進んだところにある「北彩市場 下北名産センター」。下北地方最大規模の直売所なんだそうな。大間崎の駐車場...

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大間四十八館 ~本州最北の城館~

大間崎からわずかに南側に入った微高地に築かれていたのが四十八館(しじゅうやだて)。該当地付近...

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本州最北端 大間崎

7:20 大間崎に到着お店はどこもまだ開いておらず、人通りもほとんどなし。 ネコちゃん寝てる路地を一つ入ったところにある無料駐車場に車を停め、のんびり散策開始。...

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風間浦ジオサイト

下北半島北岸に出てから徐々に天候が曇りに、というか靄がかかってきて視界が悪くなってきました。むつ市街地はあんなに晴れていたのに・・・。さらに大畑川を渡ったあたりからは海沿いの道といってもアップダウンのある区間が多くなります。この辺りは地形的に海沿いの平坦な場所は限られているようです。風間浦村に入り少し進むと下風呂温泉郷。ここではこんな感じの靄のかかり具合です。朝霧が発生するとその日は晴れることが多...

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3日目終了~4日目開始

田名部館にて予定より早いペースで本日のノルマは終了。まだ明るい時間帯で、日の長い今の時期なら本日中に大間崎まで到達することもできそうですが、単に到達するだけならともかく到達証明書を入手するには発行している店の営業時間中に行かなければならず、さすがにそれは間に合いません。本日は朝からここまで昨晩久慈で購入した食材の残りを運転しながら食べただけなので軽い飢餓状態。まずはゆっくり腰を落ち着けて食事をする...

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田名部館 ~中世から続く統治拠点~

斗南陣屋の北西、現在代官山公園となっている小高い丘陵上に築かれたのが田名部館(田名部城とも)。近世には代官所が設置されたため田名部代官所として紹介されることも多く、公園の名の由来となっています。 代官山公園田名部館の築城年代は定かではないが、建武年間の頃、八戸根城の南部師行が家臣 武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。康正年間、蠣崎城主蠣崎蔵人が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北...

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前橋探訪2018 part2

2月に入り12月からの上州山城ベストシーズンもいよいよ後半戦。同時に私が県内城館探訪に専念できるタイムリミットも残り2か月ほどとなりました(4月以降は県外出陣を解禁するため)。もちろん4月以降も県内城館探訪を一切行わないというわけではありませんが、その頻度はガクンと落ちることでしょう。以上の理由から面倒そうなところの攻略は今のうちに、というわけで今回の探訪目標は赤城の山奥にある「忠治の岩屋」に定める。こ...

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斗南陣屋 ~本州最北の陣屋~

戊辰戦争に敗れた会津藩主松平容保は謹慎処分となり、所領は没収されますが、明治2年容保の嫡男容大をもって家名再興を許され、陸奥下北の地に3万石(三戸・上北・下北三郡および二戸郡の一部)を与えられて斗南藩を立藩します。 藩庁は一時五戸代官所に置かれたのち、田名部の円通寺に設置されます。円通寺...

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七戸~むつ

七戸城の探訪終了。今朝おおまかに定めた遠征3日目の予定のメインは終了したので、ここから本日の宿営予定地であるむつ市へ向かいます。記事の在庫消化ペースをアップしないといけないのでこの間は再びダイジェストにて掲載。七戸城の北東側にある天王神社。山つつじの名所で、5月中旬の「つつじ祭り」期間中はライトアップも施され、町の観光名所となっているとのこと。...

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七戸城② ~「姫塚」の伝説~

七戸南部氏と七戸城について<参考サイト>七戸町商工観光課・しちのへ観光協会HP 『歴史散歩』内1 鎌倉時代文治五年(1189)に南部の始祖南部光行が山梨県南部町から糠部五郡(現在の南部地方)をいただいたと言われている。建久二年(1191)に光行の四番目の子どもの七戸太郎三郎朝清が七戸領主となったのが数年後の正治元年(1199)と言われている。この朝清は、七戸氏および久慈氏の先祖となると伝えられている。 また、朝...

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七戸城① ~七戸南部氏の大城郭~

-半年近くぶりの探訪記本伝再開-伝法寺館を後にし、R4を北上して十和田市から七戸町へ。「町役場七戸庁舎」に到着。七戸城はこの庁舎裏の丘陵上にあります。ちなみに七戸町は2005年に天間林村と合併しており、新七戸町の本庁舎は旧天間林村役場の位置にあります。新たな町全体のバランスなど総合的に考えての判断なのでしょう。...

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群馬の城館マップ

群馬の城館マップ 更新中・・・※白ポイントの位置は正確でない場合あり※マップに登録されていない城館(あるいは城館紛い地)の情報をお持ちの方は情報提供お願いします。随時追加登録いたします。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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