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記事一覧

行力中屋敷 ~下屋敷と二重構造~

高崎市史No.17行力上屋敷の南南東540mほどのところにあったのが行力中屋敷。単郭の平地城館で、規模は方一町ほど。館主等詳細は不明ですが、「彦部家文書」「大熊文書」に天文・永禄期の行力村の知行についての記載があります。その内容からこの地が当時関東管領上杉氏領であったことが読み取れ、また屋敷の配列からは長野氏の影響も見受けられます。屋敷跡付近現況屋敷跡はほぼ全域水田と化しており遺構はありません。しいて言え...

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行力上屋敷 ~行力の三屋敷~

高崎市史No.16高崎市行力町には上屋敷・中屋敷・下屋敷の字名が残っていて、中屋敷と下屋敷には実際に屋敷跡が検出されています。地名と城館所在のつながりは深いものがあり、当然字上屋敷にも屋敷跡が想定されますが・・・高崎市史やマッピングぐんま等の情報から屋敷跡推定地に向かうも、現地は住宅地となっており、おまけに進入路も極細。停車も方向転換も不能でそのまま外の道路に抜け出すのがやっと。...

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第47回 決戦は高天神

信長(市川海老蔵)の意に逆らえず、嫡男・信康(平埜生成)と正室・瀬名(菜々緒)を失うこととなった家康(阿部サダヲ)は、この無念を晴らすためにも駿河を奪取することを家臣の前で宣言する。一方、直虎(柴咲コウ)は、万千代(菅田将暉)と手を組んで「戦のない世を作り出すこと」を新たな目標と定める。そんな中、武田の城・高天神城攻めで水の手を切ることに成功し、二万石の加増を言い渡された万千代は、六左衛門(田中美...

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八木屋敷 ~囲郭式の平地城館~

高崎市史No.29高崎市上小塙町、放光禅寺の南にあったのが八木屋敷。戦国期に八木氏によって築かれたとされるも、詳細は不明。「回」の字型の囲郭式の平地城館で、外郭の規模は125m×150mほど。外郭北西角の堀跡付近この場所から南東の内郭東側には堀跡らしきも見られましたが、周辺は住宅が密集しており、カメラを構えるのも憚られたので撮影せず。...

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根津陣屋 ~幻の豊岡藩~

高崎市史No.9豊岡の砦とも。また陣屋表記は「祢津」「禰津」も使われます。ここでは高崎市史の表記に合わせます。高崎市下豊岡町にある常安寺が陣屋跡。常安寺山門...

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峰岸屋敷 ~在地領主の館か~

高崎市史No.8高崎市上豊岡町の宗伝寺北東にあったのが峰岸屋敷。峰岸氏の屋敷跡というが、同氏についての詳細は不明。南面の虎口跡付近...

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福田屋敷 ~福田加賀守の屋敷跡~

高崎市史No.7高崎市藤塚町、群馬八幡駅の南東500mほどのところにあったのが福田屋敷。永禄9年(1566)ごろ、倉賀野十六騎筆頭・福田加賀守信義が鳴熊城から移り居を構えたところと伝わります。屋敷跡南側の水路...

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鼠屋敷 ~沿革不明~

高崎市史No.59長泉寺の南200mほどのところにあったのが鼠屋敷。沿革等不明。...

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長泉寺館 ~左近地蔵と花魁地蔵~

高崎市史No.58「長泉寺」高崎市飯塚町字村内、長泉寺境内が館跡。長泉寺の建立は戦国末期から江戸初期と考えられ、寺院建立以前に複郭の方形館が存在していたといいます。沿革等詳細は不明。高崎市史の表記は「長泉寺」ですが、便宜上「長泉寺館」として掲載します。飯玉山長泉寺...

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飯塚左近屋敷 ~完全消滅~

高崎市史No.60高崎市飯塚町字左近、MSコーポ東隣の位置にあったのが飯塚左近屋敷。沿革等不明。...

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安中の内出 ~安中城 東の支砦~

安中市の城館探訪安中城の東を守る支砦として築かれたという安中の内出。R18下野尻交差点の西側、慈恩寺から正龍寺にかけてが砦域。見事に中央部を国道が貫通しているため遺構はほぼ消滅。砦の南西角に位置する正龍寺観音堂。右手奥には下の尻公会堂。...

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第46回 悪女について

家康(阿部サダヲ)は武田との内通を理由に嫡男・信康(平埜生成)の首を差し出すよう信長(市川海老蔵)から要求される。織田に逆らえない家康は信康の幽閉先を移しながら時間を稼ぎ、裏では北条と結ぶことで武田を追い詰め、その代わりに信康の助命を願い出ようと奔走する。織田がいらだち始めた頃、瀬名(菜々緒)は武田との密通の証である書状を残して姿を消す。直虎(柴咲コウ)は瀬名が信康の罪を一身に引き受けようとしてい...

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簗瀬二子塚古墳

R18の原市付近から碓氷川を越えて磯部へ抜ける新しい市道を走っていると、突然一目古墳とわかる特徴的な地形を発見。思わず停車。きれいに整備されています。こんなところにこれほどの規模の古墳あったっけかな。この道を通ってなかったから気が付かなかったのかな。...

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郷原の内出 ~安中城 西の支砦~

安中市の城館探訪安中市簗瀬にある満福寺の北東側の一角が郷原の内出跡。「マッピングぐんま」では単に内出砦の名称となっていますが、「内出」自体が砦の意味を表すことと、同じ市内に「内出」の名を有する城がほかにもあることなどから、区別のために頭に地域名を付けることが一般的です。となるとこの内出は「簗瀬の内出」となるのではないかと思うのですが、ここでは「城郭大系」や「境目の山城と館 上野編」等の資料に記載の...

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安中杉並木

原市東館の項で少し触れた安中の杉並木について。ここも実はグンマ44ヶ所の聖地のうちの一つ。経典 上毛かるた 「な」...

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原市東館 ~杉並木の傍らに~

安中市の城館探訪安中市原市地区にはR18から1本入った県道に杉並木が残っており、かつての中山道の雰囲気を残しています。この旧街道沿いにある「並木苑」の西側200mほどのところにあったのが原市東館になります。場所は「マッピングぐんま」参照のこと。『中世城館調査報告書集成』に記載されている城館ですが、詳細は不明。南西側からの館跡遠景。起伏の少ない地形なので北辺に立つ木立が一種の目印になっています。館は四辺を...

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『山城の村』

今年のシーズンこれまで温存しておいた山城上級者向けの地域にいよいよ手を付けてみますかねえ...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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