記事一覧

下河原館 ~下河原玄蕃の居館か~

奥州市埋蔵文化財センターから奥州街道を南へ。R4水沢東バイパスを越え中ノ町交差点を左折すると左手に安養寺があります。 安養寺この寺の東側一帯が下河原館の跡地であるといいますが、まずは寺の敷地を軽く探索。西側の墓地の奥に藪の高まりが見えましたが、遺構かどうかは不明。この日はちょうど法事があったらしく、駐車場にそこそこ車が止まっており、正面の参道内にはタクシーまで止まっていました。...

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奥州市埋蔵文化財センター

胆沢城政庁地区にて資料を入手できなかったため、ポストに記載されていた「埋蔵文化財センター」へ立ち寄ることにします。センターの場所は城の外郭南門跡付近。...

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第21回 ぬしの名は

井伊領内で生産した綿布の商い先として、浜名湖に面した港町・気賀(きが)を選んだ直虎(柴咲コウ)と方久(ムロツヨシ)。気賀の商人・中村与太夫(本田博太郎)との商談を終え市場に立ち寄った直虎は、店先に並ぶ異国の珍品に目を見張るが、その隙に銭入れを盗まれてしまう。その犯人を町外れまで追いつめる直虎だったが、逆に捕らわれの身となってしまう。地下ろうに閉じ込められた直虎のもとに現れたのは盗賊団のかしら(柳楽...

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胆沢城② ~坂上田村麻呂と阿弖流為~

外郭南東隅から西へ進路を変え、奥州街道と交差する手前で説明板発見。 厨地区 外郭南門の北東に置かれた厨(くりや)とはいわゆる厨房施設。説明板には「胆沢城の給食センター」という表現がされています。井戸を中心に建物が「コ」の字型に配列されており、この構造は平城京の大膳職と基本が一致しているとのこと。この場所から北へ進むと「東方官衙地区」に至ります。...

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胆沢城① ~陸奥国鎮守府~

鳥海柵の南東2kmほどのところに位置する胆沢城(いさわじょう/いさわのき)。前回の第1次遠征では徳丹城・志波城(ともに岩手)、秋田城、城輪柵(山形)といった古代城柵を巡っており、その際にここ胆沢城も探訪済みとなっています。特段の事情がないかぎり再訪は極力しない主義ですが、写真消滅の件もあり、今回走行ルート上に重なったのをいい機会として前回見落とした部分も含めて改めて見学しました。赤鳥居と鎮守府標柱この...

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鳥海柵 ~奥六郡の支配者・安倍氏の重要拠点~

水沢ICからR4に降りて北上し、胆沢川を越えて古寺交差点を左折するとすぐに「国指定史跡 鳥海柵」の表示が目に入ります。駐車場本遠征の探訪一発目は『炎立つ』の舞台。この柵を守っていたのは安倍頼時の三男・宗任。宗任は智将として知られ、兄の貞任とともに安倍氏の要の武将でした。...

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第2次北東北遠征編 序章

第2次四国遠征が終わってから3ヶ月弱経過した2016年夏。この間仕事でなかなか忙しい期間を乗り切り、夏休みを取得できる時期となりました。今年の夏の遠征は岩手・青森・秋田の北東北三県へ向かおうと以前から決めていました。城館探訪以外に掲げたテーマについては出発前の記事で述べているのでそちらを参照してもらえればと思いますが、「突端制覇ミッション」が今回の大きな目玉企画となっています。2016年に入ってからの探訪記...

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第2次四国遠征編 エピローグ

岡館を後にし、今回の旅も終わりが近づいてきました。もう少し探訪することも可能でしたが、1か月前の沖縄弾丸編でフライト時間になかなかきわどいタイミングとなったことを教訓とし、今回は十分時間に余裕をもって帰還体制に入ることにします。天候もどんよりしているし、本日はもう探訪未練は無し。まずは高松空港近くのレンタカー会社に立ち寄ります。松山空港から4日間をともにしたスイフト号とはここでお別れ。ここまでありが...

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第20回 第三の女

亡き直親(三浦春馬)の娘と名乗って井伊谷にやってきた少女・高瀬(髙橋ひかる)。元許婚である直親の隠し子発覚にショックを隠しきれない直虎(柴咲コウ)だが、井伊家の当主として、その真偽がわかるまで高瀬を屋敷で預かることを決める。噂を聞きつけた直親の元妻・しの(貫地谷しほり)は高瀬のもとに乗り込むが、その対応は意外なものだった。一方政次(高橋一生)は、今川と武田の同盟関係に亀裂が入ったことから、高瀬は武...

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岡館 ~管領細川頼之の館~

・・・細川頼之は香川郡由佐村に居城『岡館』を営み四国を平定した。讃岐の史書の多くが北朝の元号を用いているのはこのためで、頼之・頼元・満元・持之・勝元・政元らが永きに渡り当国に勢いを振るった。・・・細川頼之は、人物識見共に卓越しており、敬神の念が厚く、讃岐の神社で頼之の崇敬を受けたものは大変多い。・・・さらに、香川郡にはその居城『岡館』があったので頼之崇敬の神社が多く、岡館の四方権現、八方荒神等が有...

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箭造城 ~矢作りの名人~

管領細川勝元に仕えた漆原勘右衛門は阿波・讃岐・伊予で戦功を上げ、「勝」の1文字を賜り勝重と称します。勝重は矢箙に「讃岐井原郷、漆原勝重之を作る」と書くほど矢作りの名人であり、それゆえ居城も箭造城(やはぎじょう)と呼ばれたといいます。勝重の子孫は庄屋漆原家となり、この漆原氏の屋敷跡は現在の川東体育館周辺とされ、漆原荒神社が祀られています。しかしこの屋敷は庄屋となった頃に移転したものであり、それ以前の箭...

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由佐城 ~長宗我部軍も攻めあぐねた要塞~

冠纓神社を後にしてr13を東に進むと、すぐに香南歴史民俗郷土館に到着します。この場所が由佐城の跡地になります。模擬天守(歴史民俗郷土館)ちなみにこちら、外観は丸岡城をモデルにしているという。あーなるほど。似てるっちゃあ似てますね。...

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冠纓神社

東山城の麓から出発。再び「州津」の信号まで戻り、撫養街道からR32へ復帰。R32阿波別街道はここから峠越えの道になります。猪の鼻峠 標高413m県境の峠をトンネルで通過して香川県入り。今回の旅では基本海沿いを走りつつも、峠もいくつか越してきていますが(峰ノ上や根曳峠など)、この猪の鼻峠が一番標高が高い道路地点であったかもしれません。ここからは金刀比羅宮の脇をかすめて一気に高松市内へ。雨は上がった代わりに霧...

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自己紹介

ブログにはよく「管理人の自己紹介」のページがあるじゃないですか。私も初めてのブログを見たりするとき、自己紹介のページはないかと探したりしますもの。で、長々とやっているこのブログに自己紹介のページがないことに今更ながら気が付きました。しいて言えば第1回目の記事が自己紹介っぽい内容ですが、もう少しまともな紹介をしてみようかなあと。そこでネットを検索したらこんなサイトがありました ↓「お城好きに46(城)の...

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東山城 ~阿波の千早城~

再掲・案内表示。東山城の表記の下に(阿波の千早城)と記されています。その理由は以下の通り。東山城この城跡は、城山(じょうやま)と呼ばれているが、城の型式からも南北朝時代(1340年頃)の築城と考えられる。八ッ石城と共に南朝方の新田氏一族が拠ったと伝えられる(脇屋義助の子義広との説あり)。この城は、河内の千早城に範をとったもので前方と側方の三方は天然の要害であり、搦手は後方の隠里(かくれさと)へ通じてい...

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田ノ岡城 ~田岡刑部の城~

大西城からR32に復帰し、「四国中央橋」で再び吉野川を渡河。「州津」の信号で撫養街道へ入り、少し走ると道路上に城を示す目立つ看板があります。看板この看板のところから右手に道はあるのですが、入るのを躊躇するほどの細さであったので通り過ぎ、結果やや大回りをすることになりました。ちなみにこの看板のそばに説明板があり、「大木戸跡」の名残の木製表示が建っています。...

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第19回 罪と罰

近隣の領主である近藤康用(橋本じゅん)が直虎(柴咲コウ)のもとを訪れ、領内の山の木々を井伊の者に盗まれたと訴え出る。直虎は近藤の者の仕業ではないかと言い返し、二人は疑いを晴らすため、ともに盗伐のあった現場に向かう。荒らされた現場を検証していく直虎たちは、近藤領内だけでなく井伊領内の木々も盗まれてしまっていることに気づく。見張りをつけて山狩りをする両家はついに犯人を捕らえる。しかしそれは以前、直虎に...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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