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記事一覧

はりまや橋

浦戸砲台を見学後、再び龍馬記念館の駐車場まで戻り、桂浜を後にします。浦戸大橋~r35経由で高知市街地へ。R32に入り県庁方面に向かうと、下記の交差点に出ます。はりまや交差点あ、もしかしてここが「日本三大がっかり名所」で名高い「はりまや橋」があるところかな。そう思ってあたりを見回すと、それらしいものがありました。...

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浦戸砲台 ~月の名所に設置された砲台~

月の名所・桂浜の探索終了。次は高知市街に移動ですが、その前にもう一つ、この場所で紹介しておく史跡があります。龍馬像へ登っていく階段の脇にある平場と説明板平場背後の斜面には石積が見られます。...

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桂浜

坂本龍馬記念館から有名観光地・桂浜へ。歩いても行ける距離ですが、記念館の建っている高台から海辺まで降りていくことになり、足腰に不安のある方や時間が惜しい方は車で有料駐車場まで移動するほうがよいでしょう。私には駐車料金を払うという選択肢はないので歩いて向かいます。記念館から浦戸城天守台跡脇を通り、途中高浜虚子の句碑なども眺めつつ、まずは県道まで降ります。 県道のバス停のところから左写真の「椿の小径」...

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第8回 赤ちゃんはまだか

直親(三浦春馬)と夫婦になって4年、しの(貫地谷しほり)はいまだ懐妊の兆しがないことを気に病んでいた。その様子を見かねた次郎法師(柴咲コウ)は、政次(高橋一生)に子を授かるための妙薬を買い求めてくるよう願い出る。その頃駿府では、今川義元(春風亭昇太)が家督を息子の氏真(尾上松也)に譲り、尾張の織田攻めに向けて着々と準備を進めていた。直親はこの戦で初陣を飾りたいと直盛(杉本哲太)に参陣を申し出るが、...

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坂本龍馬記念館

浦戸城の本丸部分には高知県立坂本龍馬記念館が建っています。現時刻はほぼ正午。記念館に立ち寄るかどうかは現地で判断するつもりでしたが、午前中いいペースで移動できて時間に余裕があったため立ち寄ってみることにしました。駐車場も利用していることですしね。特異なデザインの龍馬記念館ちなみに記事の参考に記念館のHPを覗いたところ、この記念館はリニューアル工事のため2017年の4月から約1年間休館するようです。概要図を...

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浦戸城 ~桂浜を見下ろす長宗我部氏最後の本拠~

蓮池城を後にし、R56で土佐市から高知市へ。r36~r14(北部進入道路)~r14(黒潮ライン)を経由し、一路有名観光地・桂浜へ。黒潮ライン桂浜の駐車場は有料ですが、桂浜公園内にある坂本龍馬記念館の駐車場は無料であるということは事前にリサーチ済み。なのでまずはそこを目指します。龍馬記念館は桂浜近くにあるちょっとした山の上にあり、駐車場には多くの車が止まっていましたが、無事空きスペースを見つけて駐車すること...

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蓮池城 ~400年の興亡を繰り返した城~

須崎からR56で土佐市へ。次なる目的地は土佐市にある蓮池城。高知道土佐IC南にある城山公園が跡地となります。国道沿いの城山公園入口しっかり案内表示もされていてわかりやすい。では早速突入・・・...

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須崎城 ~長宗我部元親三男・津野親忠の居城~

須崎の町並みの北に聳える標高140mほどの山、その名も城山。この山上に、この地を治めていた津野氏によって築かれた須崎城がありました。築廃城時期や城主などの詳細は定かではありませんが、津野忠親・山内右衛門大夫の土居が山麓にあったといいます。そういえば須崎八幡宮の説明板にも津野忠親の名前が記載されていましたね。姫野々城を本拠とした津野氏は土佐七雄の一つとして高岡郡一帯を支配していましたが、長宗我部家が勢...

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須崎八幡宮・ノルマントン号事件碑

道の駅で入手した史跡めぐりマップには20ヶ所の史跡ポイントが記載されていますが、本日の行程のところで「その場のノリで予定外のところを見学するのは自重する」と宣言したばかりであるので、しらみつぶしに探訪するという暴挙はやめておきます。土佐藩中砲台の跡地を発見できただけでも大きな収穫ですし、マップの史跡で他に城館らしきものは「高岡郡奉行所跡」くらいしかなさそうなので、コンプリート癖の深みにはまる前に次の...

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第7回 検地がやってきた

直親(三浦春馬)としの(貫地谷しほり)の祝言が無事執り行われ、祝賀ムードの井伊谷。小野政次(高橋一生)と新野左馬助(苅谷俊介)の二人は駿府・今川館に出向き、改めて直親の帰還を認めてもらうよう願い出る。これに対して今川義元(春風亭昇太)の出した交換条件は、井伊谷での大規模な「検地」の実施だった。井伊直平(前田吟)は自分の治める川名の隠し里に今川の検地の手が及ぶことを恐れ、怒りをあらわにする。川名は井...

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土佐藩中砲台 ~須崎3か所の砲台の一つ~

道の駅で入手した史跡めぐりマップによると、須崎砲台(土佐藩西砲台)跡の前の道を真東に進むと「土佐藩中砲台跡と寺田寅彦療養の地」というスポットがあるらしい。ということで狭い道をまっすぐ東へ。マップでは「須崎保育園」を過ぎたあたりが目的の場所となっているが、その保育園が見つからず、代わりにシルバー人材センターの建物を過ぎたところで説明板を発見。ここもあれですか、少子高齢化の影響で保育園が老人施設に変わ...

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須崎砲台 ~竜馬も入港した土佐藩砲台~

道の駅「かわうその里すさき」から、須崎の街中の史跡巡りを開始します。まず向かったのは当初の予定にもあった国指定史跡・須崎砲台跡(土佐藩砲台跡)。道の駅で入手したマップには「土佐藩西砲台跡」と記されており、現在は西浜公園として整備されています。西浜公園着。南側には線路と路地を挟んですぐ海が広がります。周辺に駐車場はなく、周辺路地も写真のように狭いので、すれ違い可能になるよう極限まで寄せての路駐。でか...

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四万十市~須崎市(+しんじょう君)

四万十市街地からR56中村街道を高知方面へ。R56は松山から宿毛まで走行した路線で、四万十市で再びこの道に復帰です(足摺サニーロードの項を参照)。黒潮町では入野松原の景観を右手に眺め、少し立ち寄りたい気持ちを抑え先へ進みます。旧佐賀町の中心地を過ぎたあたりからR56は海沿いを離れて走る道になり、ほどなくして四万十町入り。四万十市と四万十町が隣り合っているのは紛らわしいですね。峰ノ上 標高290mこの付近の国道...

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3日目行程

中村の城下町の散策で、2日日の探訪は終了。結局1日で2,000段以上の階段上り下りをしてしまいましたが、いろいろなところを観光できて楽しむことができました。私も20代前半の若いころは「観光地なんか見ている暇があったらその時間で一つでも多く新規登城をする」みたいに尖がった行動をとっていましたが、最近は丸くなってきたのか(年を取ったのか!?)、普通の観光地も楽しめるようになってきました。時間の経過とともに考え...

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中村城下町散策

実際の訪問順とは前後しますが、中村の城下町で見つけたその他旧跡などをまとめて掲載します。幡多保健所の庁舎前にある「四万十川の水」中村市街を流れる丸の内川の浄化のために、四万十川から伏流水を導入し、水質の改善を図る事業を行っているとのこと。...

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中村御所 ~名門土佐一条氏の居館~

土佐一条氏が幡多荘を治める拠点として築いた居館が中村御所です。土佐一条氏は、1468年(応仁2年)に一条兼良の子で関白の一条教房が、応仁の乱の混乱を避け、京都から所領であった土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向したことに起源を有する。鎌倉時代末期から室町時代にかけて敷地氏・布氏・入野氏などが幡多荘の押領をもくろみ、更に戦乱による所務不振に悩まされることになり、その安定化を図る目的もあったと考えられる...

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第6回 初恋の別れ道

井伊谷への帰還を果たした亀之丞は、元服して井伊直親(三浦春馬)と名を改める。直親は次郎法師(柴咲コウ)を還俗させて、自分の妻に迎えたいと願い出るが、政次(高橋一生)はまず今川家に直親の帰還を許してもらうことが先決だとしてこれに反対する。実は次郎の出家は、今川による井伊の本領安堵の条件になっていたのだ。それでも夫婦になることを諦めきれない直親は、「おとわが死んだことにして、川名に身を隠し夫婦として暮...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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