記事一覧

勝連城④ ~国内初、古代ローマコイン出土!~

阿麻和利の話のラストは、妻の百度踏揚について。百度踏揚(ももとふみあがり、生没年不詳)は、琉球王朝の王女。百十踏揚とも表記される。第一尚氏王統第六代国王・尚泰久の娘。泰久王の妃は中城城主護佐丸の娘であるため、護佐丸の外孫にあたる。はじめ勝連城の按司である阿麻和利に嫁いだ。1458年、阿麻和利は護佐丸に叛意があることを王府に知らせ、王命を受けてこれを追討した。しかし、阿麻和利自身が王府に対し謀叛を企てて...

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勝連城③ ~「肝高の阿麻和利」天下統一の夢~

阿麻和利の話の続き。琉球王朝の正史には次のように伝わります。「1458年8月、王命として護佐丸を包囲し自刃させた阿麻和利であったが、宿敵を討った阿麻和利自身が天下統一を目指し、王府に対し謀叛を企て、首里を攻める準備を進めた。このとき妻の百度踏揚(百十踏揚)は従臣の鬼大城(おにうふぐすく)とともに夫の許を逃れ、首里にたどり着いた(踏揚の父は国王尚泰久)。これにより阿麻和利の叛意は王府の知るところとなり、...

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勝連城② ~忠臣と反逆のカリスマ~

阿麻和利の話の続き。第一尚氏は三山統一を実現したものの政情は不安定でした。力を増していた阿麻和利を政略結婚で王家に取り込もうとしたのも政情安定のためです。そんな中「護佐丸・阿麻和利の乱」が起こります。かつて若き日に中山王の北山征伐軍に加わり先陣を切った軍団長・護佐丸(今帰仁城の項参照)は、第一尚氏王統建国の功臣として北山守護職を任じられたのち座喜味城に移され、海外交易で黎明期の第一尚氏王統の安定を...

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勝連城① ~風雲児・阿麻和利の居城~

国指定史跡・勝連城。2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。今帰仁村歴史文化センターを後にし、来た道を引き返し名護市を通過。再び沖縄道に乗り、沖縄北ICからうるま市へ。この時点で時刻は15:30。そもそも1城目の名護城探索の時点ですでに12時半になっており、スケジュールに無理がありすぎたということです。いくら私が常人よりちょっと歩き回るのが早いといっても、物理...

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今帰仁村歴史文化センター

今帰仁城探索終了。城を後にするときに40人ほどの団体客と入れ違いになる。集団は好きでないので危ないところだった。さて、手元の共通券で今帰仁村歴史文化センターにも入館することができます。時間に余裕は全くありませんが、資料館の類はできるだけ入っておきたいところです。400円も払っていることだし。ということでいざ。センター外観...

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今帰仁城④ ~英雄伝説の残る絶景~

前回その③では今帰仁城の沿革について一通り触れましたが、今回はいくつかエピソードをピックアップしながら残りの探訪記を紹介していきたいと思います。・エピソード1その昔、天孫氏が琉球の王となって、北の要として今帰仁城を築いたという。強弓で知られる鎮西八郎源為朝の子が九州から琉球に渡り、天孫氏を滅ぼして舜天王と名乗り、異母弟の大舜を今帰仁城主にしたと伝わる。・・・これを聞いた時は英雄伝説を好む本土人が創っ...

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今帰仁城③ ~北山国王の居城~

今帰仁城の築城年代は明らかでなく、13世紀に湧川按司が築城したとされます。当時の琉球は北山・中山・南山の三国分立時代であり、今帰仁城は改修を重ねつつ代々の北山王の居城となっていました。城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがい知ることができます。御内原のテンチジアマチジから城内最高所の主郭へ。きれいに整地されています。北山は中山王の尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。14...

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第37回 信之

――今週は特別企画として、ゲストにきりさんをお迎えしました。来てあげたわよ。あら、おいしそうなお饅頭があるじゃない。――今日のために取り寄せました。どうぞ召し上がってください。早速ですが、今作についていろいろとお話を伺いたいのですが。その前に貴方、だいぶ以前から私に対して批判的な言動をとっていたらしいじゃない。なんでも秀次様に連座するべきだったとかどうとか。――えっ、そんなことありませんよ。きりさんは狂...

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今帰仁城② ~聖なる拝所・二つの御嶽~

平郎門手前から再開。迂回用通路から平郎門へ。門の両側には銃座らしき窓も見られます。ちなみにこの進入路の手前に係員のいる小屋があり、そこで入場券のチェックがあります。...

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今帰仁城① ~やんばるの地を守る世界遺産~

国指定史跡・今帰仁城。2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。標高約100mのやんばる(*註)の丘に築かれた今帰仁城は、沖縄県内でも最大級の規模のグスク。この地を守る要の城であったことは、その堅牢な城壁からもうかがい知ることができます。*:山原。沖縄本島北部の山や森林など自然が多く残っている地域。三山時代の北山の領地にほぼ等しいとされる。名護中央公園からr71...

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名護中央公園

再掲公園案内図(黄色丸は名護城部分)時間に余裕はありませんが、公園からの眺望を確認したかったので、この案内図で「J ガンジュー広場(南展望台)」と書かれているところに立ち寄ってみました(図の一番右下の部分)。...

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名護城 ~名護按司の居城・ナングシク~

豊見城市のレンタカー会社から豊見城東道路~南風原道路を経由し沖縄道入り。北海道横断や九州・紀伊半島一周をはじめ本土内を走り回った経験から、沖縄県内の移動にはさほど時間はかからないだろうと若干甘く考えていたのですが、なかなかどうしてこの沖縄道区間は距離がありました。細長い沖縄の島の形状から、南北の移動は意外と時間がかかるということを実感した次第です。沖縄市のあたりを走行していた時に天気予報通りついに...

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琉球王国のグスク及び関連遺産群

2000年に日本で11件目の世界遺産として登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」。構成する9つの遺産は以下の通り。今帰仁城座喜味城勝連城中城城首里城園比屋武御嶽石門玉陵識名園斎場御嶽...

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沖縄弾丸編 序章

新章・沖縄弾丸編開始。本来ならこの記事にもある通り紀伊半島編の次は諏訪編、伊那編、房総編、足柄編、北毛編があって、そのあと沖縄編になるわけですが、順番待ちしていたら掲載するのに年をまたぐのは必至なので、先に遠方レポートを片づけてしまいます。これらの他にも単発の探訪や城たび編の続き(2日目途中からデータが発掘された3日目分まで)など元々の在庫は腐るほどあるのに加え、第2次四国遠征、第2次北東北遠征の大規...

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紀伊半島一周編 完結

今城の探索にて5日目までの全行程は終了。最後におまけで一つ施設掲載。R171を西へ進み、茨木市から箕面市に入る手前に日帰り温泉施設があります。天然温泉すみれの湯地下1,000mからくみ上げた源泉かけ流しの温泉であるとのこと。ここで本日の疲れを癒すことに。いろいろな種類のお風呂があり、食事もおいしく、広間には漫画が山のようにあって読み放題だったりと、なかなか便利な空間でした。「岳」を第一話からひたすら読みふけ...

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今城 ~大王陵に築かれた城~

今城塚古墳は、大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。造営時の6世紀前半では最大級の古墳である。宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査が可能な大王陵になる。(wiki参照、以下引用部は同様)芥川城から西へ進むと大型古墳の今城塚古墳があります。この墳丘を利用して築かれた城が今城です。古墳の北側に古代歴史館があり、周辺の駐車場に車を置いて探索開...

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芥川城 ~西国街道芥川宿を抑える~

高槻市には芥川城という名の城が二つあり、現在は三好山に築かれた山城の方を便宜上芥川山城として区別しています。芥川山城は大阪府内でも有数の規模の山城で私的真百名城の有力候補ですが、時間の関係で登城することができず次回に持ち越し。今回は平地部分にある芥川城のみの探訪です。芥川城は街道の経路などからJT医薬総合研究所周辺に築かれていたとされ、研究所西の殿町8付近には城址碑もあるといいます。時刻は17:30を回っ...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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