記事一覧

沢城 ~神戸城に移る前の神戸氏居城~

r54「商工会議所東」交差点を西に進み、最初の道を左折(左手に焼き肉店舗あり)。そのまま南へ100m強進むと、水路脇に立派な石碑や説明板が設置されています。この付近一帯が沢城の跡地となります。城址碑と説明板沢城は亀山城主・関盛政の長子・関盛澄が、正平22年(1367)に築いた城で、亀山城(若山城)を本家に沢城、国府城、鹿伏兎城、峯城を分家とし、「関一党」を構成していた。城主は盛澄-実重-為盛-具盛と続き、代...

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神戸城 ~かつて5層天守が築かれた城~

近世神戸藩の藩庁が置かれた神戸城。県立神戸高校の敷地周辺一帯が跡地で、高校西側には本丸部分が公園となって残っています。公園用の無料駐車場に駐車し登城開始。本丸内にある城址碑...

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高岡城 ~信長の2度の侵攻に屈しなかった城~

四日市市の中心部からR1~r103伊勢街道を南下。鈴鹿市に入り、鈴鹿川を渡る手前の西側にある丘陵が高岡城の跡となります。高岡城は現在城跡公園となっており、上まで車で登ることができます。以下ポイントを掲載。高岡町北の交差点で西に入り、左手の丘陵が切れたところで左に曲がると、西側から南側に回る形で城への道が続いています。このルートだと写真の超鋭角カーブを乗り切る必要があります。実際は鈴鹿橋すぐ北の川沿いの...

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浜田城 ~赤堀三家の一つ、ルーツは上野国赤堀~

近鉄四日市駅の南西すぐの場所にある「鵜の森公園」が浜田城の跡地です。鵜の森公園 南側入口周囲をぐるりと一周しましたが公園用駐車場はなし(一通があるので注意)。やむを得ずコンビニの駐車場を借用してマッハで見学。もちろんコンビニで飲み物の補充もしておきました。...

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四日市陣屋 ~天領四日市の代官所~

四日市陣屋は、江戸幕府が天領である四日市を管理するために設置した代官所(陣屋)。現在の三重県四日市市北町に置かれました。陣屋跡地である中部西小学校正門脇に説明板あり。...

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西坂部城 ~「三日平氏の乱」で拠点となった城~

三重西小学校のすぐ西側にある「三重城山緑地」が西坂部城の跡地。城山東側下にあった公民館に駐車。城への登り口は多方面にあります。東登り口ここにある掲示板には「しろやま通信」なるものが張られており、城山の整備実績などが掲載されていました。...

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萱生城 ~「髪のびの井戸」伝説~

萱生城(かようじょう)は四日市市萱生町にあった山城で、一帯を支配した北勢四十八家の一つ春日部宗方(春日部家)が築城。 永禄11年(1568)、織田信長による北勢侵攻で攻撃を受け、後に落城しました。萱生城遠景城は朝明川南岸の半島状に突き出した丘陵上に築かれており、要害地形です。...

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柿城 ~室町幕府奉公衆佐脇氏の居城~

朝日町歴史博物館から池を挟んで南西約150mほどのところに小高い丘陵が残っています。その丘陵先端部分に築かれていたのが柿城です。周辺は新興住宅地となっていますが、主郭部分が残され現在は公園として整備保存されています。公園整備以前は竹藪に覆われていたそうです。...

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愛宕山城 ~愛宕山庚申碑が残る~

馬道駅の北方約200mほどのところの「愛宕山」に築かれていたのが愛宕山城。矢田城の支城であると思われるが詳細不明。永禄年間に矢田市郎左衛門が居城したとされ、織田信長の伊勢侵攻で矢田城とともに落城したといいます。愛宕山庚申碑(走井山公園にて)走井山公園から愛宕山にかけて石造の庚申碑が多く残っており、特に愛宕山には10基の庚申碑がありました。平成18年、愛宕山が宅地開発されることになったため、この場所に移設...

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矢田城 ~長島一向一揆侵攻の前線基地~

馬道駅の北西100mほどのところにある走井山公園一帯が矢田城の跡です。走井山公園 無料駐車場あり駅のすぐ北西にある公園に向かえばいいとだけ覚えていたので詳細な地図は確認せず、結果一度公園西側にある浄水場の裏側まで行ってしまいました。若干のタイムロス。...

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七里の渡

桑名城蟠龍櫓のすぐ隣にあるのが七里の渡(しちりのわたし)大鳥居熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。...

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桑名城② ~破却された海道の名城~

京都所司代を務めた幕末の桑名藩主松平定敬は会津藩主松平容保の実弟で、兄や一橋慶喜とともに佐幕派の中心でした(一会桑政権)。そのため桑名藩は明治維新後に新政府軍によって厳しく処分され、かつて海道の名城とたたえられた桑名城も官軍に破却されます。辰巳櫓跡桑名城本丸の東南角にあり、三重櫓であった。元禄14年(1701)天守閣が焼失し、再建されなかったので、以後は辰巳櫓が桑名城のシンボル的な存在であった。このため...

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桑名城① ~九華扇の水城~

上総大多喜城から10万石で伊勢桑名へ封じられた本多忠勝が本格的に整備したのが現在の桑名城です。本多忠勝像 蜻蛉切付きうーむ、なかなかに威厳あります。・・・ああ、申し遅れました。現在地は三重県桑名市の九華公園。新章「紀伊半島一周の旅 」編は、紀伊半島の東の付け根部分にある桑名城の朝一登城からスタートです。もはやいつ訪れたのかも定かでないほど遠い昔のことのようだ・・・(笑)在庫が腐るほどあるので前置きは...

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北の大地の旅 完結

北の大地の旅編もようやく完結までこぎつけました。途中中断があったとはいえ、5日間を記事にするのに半年以上かかってしまったことになります。長かった。やはり私にとっては1日10ヵ所の城館を探訪するより、1日1つの記事を書くことのほうがはるかに難易度が高いようです。ちなみにこれまでの遠征でもそうなのですが、私は相当の晴れ男のようで、台風の直撃日でもない限りめったに雨に降られることがありません。今回も5日間すべ...

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フレトヒチャシ ~ここより開けていく処~

戸切地陣屋見学後帰還モードに入るわけですが、この場所から成田に帰還するには、函館空港を使うのが常識的な選択です。が、私の組んだ行程ではこれから新千歳空港まで戻らなければなりません。R5~R37~洞爺湖~R453~R276~支笏湖~r16といった経路で、道南から千歳までの走破を敢行(道が空いていたためオール下道で)。下道を走破すること自体が目的の人でもない限り、体力精神力を極限まで消耗する過酷走行はおすすめしませ...

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戸切地陣屋② ~星形要塞完存~

 社から北西側の土塁を進み裏門へ...

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戸切地陣屋① ~松前藩の四稜郭~

ようやく今回の北の大地の旅も終わりに近づいてきました。最終日の本日は朝の弁天台場から午前中だけで何ヵ所の城館を巡ったのだろう。丸1日あれば30ヵ所は余裕で巡れたペースだったな・・・さて、北斗市にある国指定史跡・戸切地陣屋(へきりちじんや)は、江戸幕府の命により松前藩が安政2年(1855)に構築した洋式城塞です。r96沿いに陣屋入口の表示あり...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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