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記事一覧

戦史館

加治木館から霧島市へ向かう。眺めの良い海沿いのR10を快走していると。!?何ですかこの只ならぬアトモスフィアを放つ建物は。急いでいるのに思わず車を停めてしまったではないですか。...

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加治木館 ~島津義弘終焉の地~

加治木町仮屋町の加治木高校・柁城小学校の一帯が島津義弘晩年の居城である加治木館の跡地であるという。 加治木高校。校庭の先に見える特徴的な山は蔵王岳。...

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平山城 ~初代城主が植えた大銀杏が今も残る~

帖佐麓にあった説明板の案内図より。高尾城から東へ進むと、本城である平山城に至ります。高尾城からの道は一か所だけ分かれ道がありますが、「八幡神社・桜公園」の表示が出ている右手に進めばOK。...

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高尾城 ~島津軍を助けたキツネ~

帖佐麓にあった説明板の案内図より。帖佐館東側の一本道を北へ進むと、途中高尾城(元稲荷)を経由します。...

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帖佐館 ~島津義弘居館~

文禄4年(1595)、栗野から帖佐に移った島津義弘は、平山城の麓、帖佐鍋倉宇都に館を築いて国守の治所とした。現在「御屋地(おやじ)跡」と呼ばれている所で、高さ二間ほどの野面積みの石垣が残っており、その南側が昭和37年姶良町の文化財に指定された。この御屋地造営のおりには、蒲生地頭阿多長寿院が真っ先に大石を運ばせたといわれ、また前面の石垣中には義弘の羽織掛石も見られる。義弘は関ヶ原より帰ってのち、慶長11年(1...

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帖佐麓 ~小学校になった「地頭仮屋」~

姶良市鍋倉地区の帖佐小学校ここ帖佐小学校の場所には、江戸時代に「地頭仮屋」が設置されていました。...

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岩剣城 ~初めて鉄砲が実戦使用された城~

平松地区に入ってから、ずっと気になる険しい山が目に入っていました。この険しい山こそ、島津義久・義弘・歳久の三兄弟が揃って初陣を飾った岩剣合戦の舞台・岩剣城。この合戦では島津忠将が種子島(鉄砲)を使用し、岩剣城祁答院勢も種子島で応戦するなど、日本ではじめて鉄砲を実戦使用した本格的な戦いとなったといいます。岩剣城(いわつるぎじょう)は鹿児島県姶良市平松にある中世城郭。標高210mの岩剣山頂にあり、山は剣の...

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重富麓 ~島津特有の軍事制度~

鹿児島城の記事でも出てきた「麓」。そこではさらっと流しましたが、そもそもここでいう「麓」とはどういう意味なのでしょうか。以下wikiの記述。薩摩藩の外城制度において郷士が居住していた集落を麓集落と称し城下町的機能を有していた。知覧麓(現南九州市)・入来麓(現薩摩川内市)・出水麓は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。では外城制度とは。外城制(とじょうせい)とは薩摩藩が行った地方支配の制度。17...

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平松城 ~越前島津家領主の館~

城山を後にし、R10を暫し北上。右手に桜島を眺めながら海沿いを走る快走路です。姶良市に入り、重富郵便局前の交差点を左折。r57を少し進むとこのような案内があるので従います。平松城は現在重富小学校の敷地になっています。...

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5日目

最終日午後には帰路につかなければならないので、攻城できる猶予は午前中のみ立待岬台場(立待岬)この前後で函館市街地内の城館8ヶ所を1時間で制覇時間がないときは市街地城館めぐりに限る...

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4日目

松前城の駐車場係のじーさんとおばはんのせいでとてもタイトな1日になった北海道最南端・白神岬この裏に白神台場...

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3日目

どうも1日目から視界が悪いと思っていたが、北海道には5月5日から3日連続で黄砂が飛来してきているらしいめったに黄砂が観測されない道東・釧路にも10年ぶりに飛来したとか朝のニュースでも3K(乾燥・花粉・黄砂)に注意とかやっていたドンピシャのタイミングで迷惑千万エトモチャシ(絵鞆岬)...

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2日目

前日根室でチシマザクラ、本日釧路でエゾヤマザクラが開花ちょうど桜の開花時に合わせて訪問している形ちなみに釧路は気象庁の全国の桜観測地点で最も遅い開花となっている(1月6日の沖縄・石垣島でのヒカンザクラ開花から4カ月)モシリヤ砦...

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1日目

暑くはないが風が強いノツカマフチャシ...

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北の大地へ

5月初旬(正確には4月下旬)にして既に30℃に達するという猛暑の地群馬。暑さから逃れるため北の大地へ避難します。混雑のピークを外しての出発なので人込みも少ないことでしょう。...

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西郷隆盛洞窟

城山に登っていく途中に、このような看板があります。西郷隆盛洞窟見学者用の無料駐車場もあります。...

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上山城 ~鹿児島城の詰城~

上山城は、南北朝時代に豊後国の土豪上山氏が鹿児島に入部して築城したとされる。守護島津氏は初代忠久から三代久経まで鎌倉に在住したため、薩摩・大隅・日向の三州では土豪が割拠していた。上山氏もその一つ。上山氏は正平年間(1346~69年)に島津氏に屈し桜島へと居を移したため上山城は廃城となっていたが、1602年(慶長7)に島津家が鹿児島城を築城し、城山を詰めの城とした。西南戦争では西郷隆盛がこの城山に籠もり、政府...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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