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記事一覧

三城城 ~三城七騎籠~

三城城(さんじょうじょう)は大村市の中心部近く、JR大村線の山側にある。東の多良山系から続く丘陵の末端部に造られた平山城で、南の本堂川を堀代わりとしている。縄張りは本丸、二の郭、三の郭の三つの主要な曲輪が深く掘られた横堀(空堀)で分けられており、城名はこの縄張りに由来するものといわれる。(wiki参照)三城城は地図によっては記載がないことも多いので、その場合は長崎県忠霊塔を目指しましょう。...

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江迎本陣 ~平戸藩主の宿泊所~

9月24日。九州遠征4日目。この日は大型の台風16号が九州北部に上陸した日ですが、朝の段階では傘もいらない程度の小雨状態。ただ風だけは強く、明らかに台風の強風圏内に入っていると感じます。とは言え、数日来の猛暑の中での城めぐりに懲りていたので、この台風襲来は正直暑さが和らいでありがたいと思ったほど。そんな中、4日目のスタートは当初の予定にはなかったこの陣所から。江迎町長坂、R204沿いにある旧家風建築物。全く...

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陣笠城 ~平戸瀬戸を見下ろす要衝~

日没により本日の宿営地へ移動中。平戸大橋を渡り九州本土へ再上陸。この時、近くに時間があれば立ち寄っておこうかと下調べしておいた城があったことを思い出す。ついでだから行ってみましょう。...

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平戸御館 ~平戸藩主の館~

下松浦党の棟梁である松浦鎮信(法印)は、慶長4年(1599年)亀岡の地に日の岳城を築いたが、同18年大火により焼失。幕府に対する恭順の意を示すため、自ら火を放ち城を破却したとされる。鎮信は、平戸港を挟んだ北側に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした(現・平戸市鏡川町)。ここには明治時代に松浦氏の私邸が築かれた。現在は松浦史料博物館となっている。ということで、松浦史料博物館に到着。平戸城からは...

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平戸城③ ~明治天皇の里親~

さて、この城の主要部分はあらかた見学しましたが、そのほか見て回ったところを簡潔に記載していきます。日の岳城古井戸。慶長4年(1599)領主松浦鎮信(法印)が、ここ亀岡に日の岳城を築いた時の井戸。井戸に使用されている枡形の石は組合わされたものではなく、石を方形にくり抜いて使っています。北虎口門と亀岡神社の中間あたりにあります。...

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平戸城② ~狸櫓の伝説~

最上階からの眺め。これは南側。夕暮れ時でかつ小雨が降ったり止んだりの状況なので、視界が明瞭でないのがもったいない。左手奥にうっすら見える赤い橋が平戸島と九州本土を結ぶ平戸大橋。縮小したこの写真だと主塔しか見えないか。...

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平戸城① ~山鹿流の築城~

名護屋での陣城めぐりの最後、宇喜多秀家陣を立ったのが15:30。この時点で本日の平戸城の開館時間までに辿り着くのはもはや不可能に思われたが。ナビは最短時間で到達できる経路として、いったん唐津市街へ出て、そこからR202経由の道を示しています。予想到着時間は18:20。ここで私はナビの指示を無視しR204(玄海町側)からの強行を敢行。玄海原発を横目に道中ショートカットを駆使することで、ナビの予想到着時間がどんどん前...

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宇喜多秀家陣 ~名護屋城陣城群㉗~

宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)豊臣政権下の五大老の一人。備前宰相。備前岡山城主57万4,000石。...

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豊臣秀保陣 ~名護屋城陣城群㉖~

豊臣 秀保(とよとみ ひでやす)/羽柴 秀保豊臣秀吉の姉・瑞龍院(とも)の子で、後に豊臣秀長の養子となる。大和中納言。文禄の役の時は大和国郡山城主。百十万石の大名であった。文禄の役では渡海せず、文禄4年(1595年)急死。享年17。...

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鍋島直茂陣 ~名護屋城陣城群㉕~

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)戦国大名龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。豊臣秀吉の九州征伐の後、国政を担うようになる。文禄の役の時には龍造寺家臣団を率い、加藤清正らとともに第二陣として渡海し戦っている。...

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亀井茲矩陣 ~名護屋城陣城群㉔~

生駒親正陣を後にし、一路平戸へと向かいます。位置図を見ると近隣に島津義弘陣をはじめ、通り道沿いには上杉景勝陣・九鬼嘉隆陣・福島正則陣・加藤清正陣・片桐且元陣・堀秀治陣といった特別史跡に指定されている有名大名の陣跡があるようだが、それらを横目に通り過ぎることの無念さよ。整備されていない怪しい陣跡の標柱探しに費やした時間を、これら特別史跡に指定されている陣跡探索に向ければよかったと思っても後の祭り。そ...

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生駒親正陣 ~名護屋城陣城群㉓~

この日は昼からどんよりとした天気が続いていたのですが、増田長盛陣探索中についに小雨が降ってきました。予報だと明日大型台風が九州北部を直撃するようなので、その影響でしょう。 急いで駐車場へ帰還。雨降りは服が汚れたり資料を広げられなくなったりと煩わしさはあるものの、暑さが和らぐという点のみはちょっとありがたい。いったん車の中に入りふと時計を見ると、もう午後3時になろうかとしている。・・・まずい。今日中...

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増田長盛陣 ~名護屋城陣城群㉒~

ビジターセンター側の駐車場から遊歩道を西に進み北条氏盛陣を過ぎると、国民宿舎などがある岬の西側の車道に出ます。車でこっちまで回ってくるほうがおすすめ。...

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北条氏盛陣 ~名護屋城陣城群㉑~

ようやく波戸岬近くに到着。 このあたりには駐車場がいくつもありますが、とりあえずビジターセンター前の駐車場に車を停めます。手持ちの位置図によると、この駐車場付近はすでに北条氏盛陣にかかっているようだが。...

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佐竹義宣陣 ~名護屋城陣城群⑳~

佐竹 義宣(さたけ よしのぶ)佐竹氏19代当主。出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主。佐竹義重の長男。母は伊達晴宗の娘。...

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相馬義胤陣 ~名護屋城陣城群⑲~

相馬 義胤(そうま よしたね) 陸奥相馬氏第16代当主。陸奥国牛越城主。...

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秋田実季陣 ~名護屋城陣城群⑱~

秋田 実季(あきた さねすえ)安東愛季の次男。安東氏の全盛期を築いた大名。安東氏は安倍貞任の末裔と伝承される北方の名門であり、南北朝時代には日本海交易で富を得、内外に「日の本将軍」を号するほどであった。...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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