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記事一覧

蒲生氏郷陣 ~名護屋城陣城群⑮~

「歴史探訪の道」説明板No.16「蒲生氏郷・真田昌幸」。...

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氏家行広陣 ~名護屋城陣城群⑭~

説明板がセットであるため、足利義昭陣と合わせての掲載。絵図によると、波戸岬少年自然の家近辺が陣跡であったようです。これは資料の位置図とも一致しています。...

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足利義昭陣 ~名護屋城陣城群⑬~

陣跡位置図によると、「歴史探訪の道」説明板は全部で20ヵ所に設置されています。これまでNo.19の「徳川家康・大野治長」とNo.18の「長束正家・富田知信」を見てきましたが、続けてNo.17の説明板発見。「氏家行広・足利義昭」説明板...

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長束正家陣 ~名護屋城陣城群⑫~

富田信則(知信)陣の次にあるのは長束正家陣。この表示。この通りに進むと表示されている陣跡からむしろ遠ざかることがある、ということを徳川家康陣の時から感じていたのですが、ここで理由が判明しました。これは陣跡への表示ではなく説明板(歴史探訪の道)の設置場所への表示なのです。...

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富田信則陣 ~名護屋城陣城群⑪~

大野治長陣を過ぎ西へ進むと、右手に鳥居が現れます。天神宮。名護屋城で入手した陣跡位置図では、この場所が富田信則陣跡とされています。...

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大野治長陣 ~名護屋城陣城群⑩~

徳川家康陣の次は、波戸岬方向へ向かいます。位置図によるとその道中にいくつも陣跡があるようなので、標柱でも探しながら進むことにしましょう。名護屋小学校をかすめて一番海沿いの道を進むと、道路わきに説明板発見。徳川家康陣と大野治長陣大野治長は淀君の乳母大蔵卿局の子。秀吉に馬廻として仕え、後に秀頼の側近となる。片桐且元が大坂城を退いた後は豊臣側の中心人物として務めます。大坂の陣では和平交渉にも尽力したが、...

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徳川家康陣 ~名護屋城陣城群⑨~

別名竹の丸本陣。特別史跡に指定されている23箇所の陣跡の一つ。名護屋城で入手した位置図を参考に移動。随所に案内表示もあるのですが、これを信じすぎると迷う可能性もあります(私は迷いかけました)。自分で地図を確認しながら進むのが無難です。...

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木下延俊陣 ~名護屋城陣城群⑧~

名護屋城登城記と一部時間が前後しますが、博物館内の資料でこの博物館のすぐ裏にも陣所があることを知ります。このジオラマも参照ということで、博物館を出た後、名護屋城に向かう前にまずこの陣所を探索することにしました。...

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名護屋城④ ~幻の巨大都市~

続いて向かうは二ノ丸。特徴的な石垣が見られます。ぱっと見だと破城の跡のようにも見えるのですが、よく見ると石段が付いています。...

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名護屋城③ ~太閤が睨みし海~

本丸大手からいよいよ本丸へ。城址碑ならぬ本丸碑があります。...

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名護屋城② ~大陸侵攻の拠点~

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城である。豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれた。 城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄した。(wiki参照)博物館を後にし、登城開始。博物館の休憩室から城の石...

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名護屋城① ~名護屋城博物館~

本日のメイン、名護屋城に到着。最初に100名城スタンプの設置場所である佐賀県立名護屋城博物館へ。 駐車場の幅が妙に狭い気がするが、駐車料金無料なので文句はありません。というか、入館料も無料!佐賀城本丸歴史館といい、佐賀の県立施設はなぜこうも太っ腹なのでしょう。...

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黒田長政陣 ~名護屋城陣城群⑦~

伊達政宗陣から西へ進み名護屋大橋を渡る手前で、左手に標柱発見。路肩の余白に停車し、急いで確認に向かう。黒田長政陣跡。特別史跡に指定された23箇所の陣跡の一つ。黒田長政はもともとメジャーな武将ですが、今年の大河で準主役級の活躍をしたことで一般層への認知度はさらに高まったと思われます。長身イケメンの松坂桃李さんが演じたことで印象値も良くなったことでしょう。...

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伊達政宗陣 ~名護屋城陣城群⑥~

来島通之陣からR204に復帰。いいかげん名護屋城へ向かわないと見学時間が足りなくなるところですが、走行中またも標柱発見。伊達政宗陣跡。走行中なのでブレ写真。ここも特別史跡に指定された23箇所の陣跡の一つ。有名人なので人物紹介は省略。...

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来島通之陣 ~名護屋城陣城群⑤~

脇坂安治陣から給食センター経由で南下し、呼子中学校前に出た付近で新たな標柱発見。...

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脇坂安治陣 ~名護屋城陣城群④~

宗義智陣から畑の中の細い道を進むと、老人ホーム施設に出くわします。ここでもと来た方面へ戻るように右回りに進路をとると、次なる標柱発見。...

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宗義智陣 ~名護屋城陣城群③~

徳川家康別陣跡の標柱がある場所から道を挟んで反対側にあるのがこちらの標柱。宗義智陣跡。宗義智は対馬を治めた大名宗氏の20代当主で、後の対馬府中藩の初代藩主。文禄の役では小西行長らとともに一番隊に属して日本軍の最先鋒として戦っています。同時に朝鮮や明との交渉役を務めたりもしていますが、到底合意に至ることなど不可能な内容の交渉調整を押し付けられ、胃が痛むことこの上なかったことでしょう。同情を禁じえません...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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