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記事一覧

佐賀城① ~日本最大級の木造復元~

日本百名城の一つ・佐賀城。先の事件によりいくつかの城館探訪をあきらめたものの、それでも予定より大幅に遅れての到着。これでは百名城スタンプは押せないな・・・と、かなり凹みながらの現地入りとなる。17:25頃、佐賀城鯱の門前の駐車場に到着。なんと無料。市街地の中心部なのにこれはすばらしいことです。現時刻ではおそらく施設は閉まっている頃だろうが、駄目元でも何とかスタンプだけでも押させてもらえないかと淡い気持...

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直鳥城にてアクシデント発生

あまり書きたくないことだが、探訪記を残す上ではこういったことも記録しておかなければなるまい。直鳥城探索終了後。次の目的地は蓮池城。時間も押してきているので、さっそく出発。バックで切り返すと・・・「ゴットン」おっと失礼、縁石に乗り上げてしまった。まあよくある。・・・?なんか違和感が?非常に嫌な予感が・・・...

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直鳥城 ~直鳥クリーク公園~

引き続きクリークを利用した城館探訪。神崎市役所支所の西側に広いクリークが残っている一帯があり、そこが直鳥城の跡という。 到着。その名も「直鳥クリーク公園」。駐車場も完備。入口には石碑もあります。...

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本告城 ~本告氏の館跡~

引き続きクリークを利用した城館探訪。神埼町本告牟田にある自得寺周辺が本告城の跡地という。 西側にある巨大な水路を横切り、自得寺到着。周囲の道は狭いが、目標物があるので到達は容易。...

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姉川城 ~国指定環濠城館~

佐賀平野に多くあるクリークを利用した平地城館の中でも、規模が大きく、形状の残存状況も良好な城館。近くにある横武城は詳細が不詳だが、こちらの城は沿革面もある程度は判明しています。そのため近年国指定の史跡となっています。R34神崎姉川簡易局のところで吉野ヶ里側から見て右折。そのまま数百m進めば城域に到達したわけですが・・・結論から言いますと、私はこの城の攻略を失敗してしまいました。神崎姉川簡易局のすぐ北側...

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横武城 ~葦辺の館~

吉野ヶ里で想定以上の時間を消費したため、本日のこれからの攻城予定を大幅に見直す必要に迫られる。しかしそんな状況下においても、ここはぜひとも見ておきたいと考えていた城館がありました。その名は横武城。事前情報によると、これでもかというほどの堀に囲まれた平地城館らしい。目指すは「横武クリーク公園」。目的地に到着。ここは公園の南東の隅部分。さっそく現れた幅広の堀に期待値上昇。...

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吉野ヶ里⑤ ~祭祀の宮殿・北内郭~

いよいよラストに残った北内郭へ。北内郭吉野ヶ里のまつりごとを司る最重要区域。田植えや稲刈りの日取り、戦いや狩りの祈りなど、重要な事柄ははすべてここで決定されたと考えられています。指導者たちだけが出入りできた神聖かつ特別な場所で、吉野ヶ里全体でも一番堅い守りとなっています。...

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吉野ヶ里④ ~歴代の王の威光・北墳丘墓~

南内郭見学後は、いよいよ北側ゾーンへ。北側ゾーンは主に北内郭・北墳丘墓・中のムラなどで構成。南側とは若干趣が異なるようです。...

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吉野ヶ里③ ~支配者層の生活の場・南内郭~

炎天下の中、南内郭に到着。環壕北側入口。ここは実際は柵と堀で囲まれていた場所ということで、現在は見学用通路として開かれています。せっかくなので正門側から紹介することにしましょう。...

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吉野ヶ里② ~庶民が暮らす場所・南のムラ~

展示室を出て最初に向かったのはこちら。南のムラ環壕集落の南部にある庶民が暮らす村。人々は農耕や生活に必要な道具作りを行いながら、北内郭や南内郭の支配層の生活を支えていました。...

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吉野ヶ里① ~よみがえる邪馬台国~

日本百名城の一つ・吉野ヶ里。一般的には吉野ヶ里遺跡として小学校の教科書に載るほど有名な遺跡で、弥生時代の大規模な環濠(壕)集落跡で知られています。ここでは城館扱いとして吉野ヶ里表記とします。国営公園としておよそ50ヘクタール、歴史公園としての総面積は約86.7ヘクタール(平成 26年4月1日現在)というこの広大な公園を探索するのは、気温30度を超える真夏日となったこの日には尋常でなく酷なことであった。真冬に山...

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千栗八幡宮(肥前国一宮)

城館探訪よりは優先度は低いものの、全国一宮めぐりも並行して進めています。今後一宮のカテゴリーを作る予定ですが、とりあえず先行公開として簡略版で掲載。肥前国一宮・千栗八幡宮。私は最初千栗は「ちくり」と読むものだと思っていたのですが、「ちりく」と読むのが正解。久留米から筑後川を長門石橋で渡り、真っ直ぐ進むと佐賀県入り。この道は写真にあるような丘陵にぶつかりT字路となりますが、この丘陵の上に千栗八幡宮は...

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祝 ぐんまちゃん

ぐんまちゃん...

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久留米城② ~筑後の要の城~

神社を拝んだ後は本丸の東南へ。 巽櫓跡(④)七つの櫓の一つ。辰巳(東南)の隅に位置する。城内で最も規模が大きかった層塔型の三重櫓で、天守の代用となっていました。...

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久留米城① ~有馬21万石の居城~

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。この時代は豊後国の大友宗麟(筑後守護でもあった)と肥前国の龍造寺隆信が争っており、この地は双方の勢力が拮抗する場所で度々城主が入れ替わった。天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州を平定すると、大友宗麟の娘婿である毛利秀包(羽...

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三原城 ~文武両道・忠義の将~

九州遠征2日目。1日目は14時現地入りで時間がなかったことに加え、超絶疲労状態(車の運転だけで4kgくらい体重減)からのスタートでしたが、本日からは本領が発揮できそうです。この糞暑い中でも20kmくらいは踏査できそうな感じでしょうか。冬場ならその倍でもいけるのですが。とはいえ本日はそこまで歩き回るのはセーブして、ゆっくりのんびり15城くらい見て回る予定。時間があるって素晴らしい。宿泊地の甘木から、まずは最...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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